中秋の名・
19日は、1年でも最も美しいといわれる「中秋の名月」でした。大きな丸い月が上ってきましたが、写真を撮るタイミングを逃し、9時頃撮った写真ですが、ただの丸い点にしか見えません・・・残念 by NK
【森林紀行No.1 13/18】「コカの町」
コカの町
コカの町の方がラゴ・アグリオよりも大分小さかった。道路はやはり未舗装であった。
ただ、ラゴ・アグリオの町よりは古い町なのだろう。少し落ち着いた雰囲気が漂っていた。しかし整うのは、まだまだ先の話しだろうと思われた。
毎朝早く起きて町の食堂に朝食を食べに行った。3軒くらい食堂があり、パンとコーヒーだったが助かった。ホテルにも食堂があったが、朝は始まるのが遅かったのだ。
コカの道路。左側の青い建物がホテルアウカ
ホテル・アウカ
受付にて
最初にホテル・アウカに着いたときに、受付の女性が我々に向かって「どこから来たの?」と聞いてきた。我々は「ハポン(日本)から来た。」と答えた。すると彼女は「ハポンから車でここまで来たのか?」とたずねて来た。最初私は何を聞かれているのか良く分からずキョトンとしていると、「ハポンとはどのあたりにある村か?きっと小さな村でしょう。」と言った。世界の地理がどのようなものか知らなかったのだろう。
私は「ハポンからキトー経由で、車で来たよ。ハポンは本当に小さな村だよ。」と答えた。
アウカの部屋
数が限られているので一人部屋が満杯であれば相部屋であった。2~4人くらいの相部屋の方が多少広くて居心地が良さそうだったが、壁はベニヤ板みたいなもので隣室との声は筒抜けであった。
一人部屋は多少しっかりしていたが、狭くて汚く居心地は非常に悪かった。特に裏の部屋はコンクリート製だったが、窓が小さくまるで監獄に入れられているようだった。
私は一人部屋にいたが、満杯の時は仕方なく裏の部屋に入ったが、多少でも居心地の良い一人部屋が空けばそちらに移った。
ホテル・アウカの部屋
ホテル・アウカにいた先住民
ある時、仕事から帰ってくると受付に入ろうとすると何か獰猛な動物がいるような殺気を感じ、中に入るのがためらわれた。中をそっと覗くと、これこそ正真正銘の原生のアウカ族ともいうべき先住民のインディオがいた。
やや小柄ながら筋肉質、猫背で耳に大きな穴を開け、木の枝を短く輪切りにしたものをさしている。その迫力には圧倒され、声をかけることもできなかった。冒険旅行に来たヨーロッパ人が道案内に雇っているとのことだった。
庭に飼っていたボア
ボアは大きくなれば5mにも達し、最初に我々が遭遇したものも4m程もあった。3m程のボアをホテルアウカの庭で放し飼いで飼っていた。木の枝2mくらいの高さのところにまとわりついてじっとしていた。昼間は動かないようだった。夜行性なのであろう。
その他飼っていた動物、鳥
ホテルアウカでは放し飼いのボア以外にオセロットやサル、トゥカン(オオハシ)やオウムを小屋に入れて飼っていた。トゥカンというのはくちばしが長く大きく、変わった鳥だ。キツツキ目オオハシ科に属する。キトーの土産物屋ではバルサ(比重が0.2程度の非常に軽い木)で作ったトゥカンを売っており、私もいくつかお土産に買った。
オセロット
サルと小鳥
小鳥
オウム
トゥカン(オオハシ)
コカの町の中にて
町で大きなネズミをみる
町の食堂ではときどきネズミの肉のステーキがあり、それも良くたべた。脂肪分が少なく、パサパサといった感じだったが、おいしかった。
それを犬のように首輪を付け散歩している人を町中ではときどき見かけた。小型犬くらいの大きさはあり、重さは6?7Kgはあるだろう。
モリーナ達
モリーナ達はラゴ・アグリオでもそうだったが、コカでもMAGの事務所の宿泊所に泊まった。そして夜は良く飲みに行った。彼らも泊まる場所は狭く、相部屋なので、事務所には泊まりに行くだけで、眠くなるまで外で時間をつぶしたかったのだ。そのため彼らと飲むときりがなかった。
飲み代といっても大したことはなかったが、最後は我々が持つようになるのだが、彼らは最初は、必ず「俺がおごる。」と言う。こちらも眠いので、「もうやめよう。」というと、モリーナは、「これが最後の一杯だ。」と言う。そしてそれが終わると「俺がおごるのはこれが最後だったが、今度はアロンソがおごる。」という。そしてアロンソが最後になると、「アロンソの最後のおごりは終わったが、今度はメディーナがおごる。」と言っていつまでたっても飲んでいて帰ろうとしないのだった。
コカの市場
コカの町に市場があり珍しいものが沢山あったので撮った写真が次のものである。その他、森や町で取った珍しい動植物も載せる。
マンダリン、チリモヤ(釈迦頭)、パッションフルーツ。
チリモヤは種の周りの果肉がクリームのようで甘く柔らかい。
種の大きさはカキの種くらい。パッッションフルーツは中に
つぶつぶの種があり、その周りの果肉と果汁が甘酸っぱい。
豆類(入れ物が珍しい)
果物を売る少年
野菜を売る少女
日本とは違った感じのニワトリ
コーヒーの殻を乾かしている
近くにいた水牛
林内周辺で取った動植物の写真
マーモセット?
同上
着生ラン
着生ラン
木の幹から直接花が咲く幹生花
菌類
サルノコシカケ
ノボタン科の低木(三主脈がはっきりわかる)
9月の駒ヶ岳
西駒んボッカに参加
9月15日(日)第1回中央アルプス西駒んボッカに参加しました。
伊那市鳩吹公園から中央アルプス将棊頭山の山小屋、西駒山荘までの標高差1750mのヒルクライムレースで、競争だけでなく、建替え工事予定である西駒山荘の建材(レンガ2.5キロ)を参加者全員で運び上げ、再建に携わることが大会の趣旨です。
小生3か月ぶりのレースで、練習もロクにせず、またしても過重肉体のままの参加となってしまったうえ、大会規定の携行品が、レンガのほかに地形図・レインウエア・食料・水1L以上・携帯電話・防寒着・熊鈴・健康保険証・ヘッドライト・携帯トイレ・手袋・ホイッスル(協賛)で、計約7キロを背負っての苦行であります。
台風18号上陸 前日であったため中止が心配されたレースは、AM6:30小雨で無事スタート。前半ロード区間と桂小場登山口から馬返しまでのトレイルはなんとか走りき り、馬返しから分水嶺はひたすら岩段を四つ足で登り続け、分水嶺から西駒山荘のトラバースでは大雨・暴風で震えながら、ゴール西駒山荘にてレンガを大会委員に手渡しての完走となりました。
想像以上にレンガが重く、登坂中は何度も捨てようかと思いました(おいおい?!)が、何とかゴールしてレンガを届けることができ、他のトレイルレースとは一味違う達成感。
ゴール後、稜線をトレランしようと計画していたため、しばらく天候の回復を待っていましたが、雨風は止まず、体が冷え込んできたので山景色を全く見ることもなく、早々にカッパを着込んでの下山となりました。


復路はレースでは無いため、他の参加者としゃべりながらのんびり走って、鳩吹公園着がAM11:30。山を見上げたら、なんと晴れあがっていました。
神様からの「来年も参加しなはれ」の声と解釈し、鬱憤は快晴となった午後に、駒ヶ根のテニスコートで晴らしました。
mokoji
駒ヶ根さんぽ
秋になってきましたね!
季節の変わり目に、近ごろみかけた植物を紹介します。
クサギ
山の中でよくみかける木です。
その名の通りとっても臭いので、うかつに触ると手ににおいがついて嫌われます。
たまたま花が咲いていたので撮りました、花はかわいいですね。
アカザ
ホウレンソウの仲間なので、心なしか似てますね。
食べれるそうですが、自分は食べたことはありません。やたらアクが強いという噂です。
ちなみにこの赤い色は実は表面に赤色の粉がついていて、触ると指につきます。
この粉の色が白いシロザという植物もあります!
ノビル
田んぼのあぜ道など、どこにでも生えています。
ニラの仲間で、根元の少しふくらんだ部分がとってもおいしいのです。味噌に合うと思います!
花はとってもきれいですね。今頃咲いているので、ぜひ探してみてください。
ニホンアマガエル
かわいい!
RS
【森林紀行No.1 12/18】「標本木の調査」
伐採
チェンソーマン
しばらくして2班とも良いチェンソーマンが見つかった。石油開発のため伐採をしていたので、大きなチェンソーを扱って、木を伐るのがうまかった。これでまた仕事がはかどるようになった。
私の班のチェンソーマンはパスクワルといい、先住民である。
大木を伐るパスクワル(大木になると板根が発達する)
同じ木を反対側から撮影
もう一方の班のチェンソーマン。見守るのはモリーナ
伐採した木を測る
伐倒したらまず2mおきに印をつけ、樹高を測り、2m毎に直径を測る。
樹高を測るルナ
直径を測るメディナ
当初、木の年輪は見えないだろうと思っていたが、年輪が見える木が多かった。年がら年中雨が多く、いつも暑いので、偽年輪が多いと思われた。それでも雨期と呼ばれるほど雨が多いのは4月~6月で、それらの月は300mm~400mm以上降り、その他の月でも200mm程度は降るのである。それでも月雨量に150mm~200mmもの差があるので、4月~6月に最も成長すると推定し、年輪幅を測り、成長速度を予測することとした。
いくつもの年輪、疑年輪がわかる
年輪を測る
板根を伐る
木の直径が1m以上、樹高が30m~50mもある木を切り倒すと、伐るのに半日くらいかかってしまう。それは大木には板根が発達しているからで、沢山の板根を持っている木が多く、それを一つ一つ伐っていって、ようやく幹にたどりつくのである。
板根が発達する理由は、熱帯は雨が多く暑いので、落ち葉など養分になるものがすぐに分解してしまい、またすぐに流されるので、土壌の表面にしか養分が蓄積しないため、表層の養分を吸収するためである。暑いので植物体の生産も早いが、分解されたり流されたりして養分が土壌に蓄積しないのだ。つまり土壌中の養分の蓄積の少なさを早い養分の供給(木の葉が沢山落ちすぐ分解する)、早い回転で補っているので木の成長が速く見えるのだ。
そのためその養分を求めて木の根は、表面を浅く横に這い地中深く下に入らない。そのため木が大きくなるとその巨体を支えるために板根が発達するのだ。
板根を一つずつ伐っていって木を倒す
背景の木は板根の幅だけで10m以上もある大木
木の根に跳ね飛ばされる。
ある時、MAGに帰ってからの打合せの時に、Y君が木の根に跳ね飛ばされたと言った。危ないから伐っている木のそばに近づくなと口酸っぱく言っていたのだが、近くで見ていたのだ。倒れるときに根が跳ねあがり、自分も飛ばされたとのことだった。幸い何の怪我もなくよかったが。
また、私とI君がリックサックを木から4~5m離れていたところに置いていたことがあり、やはり木が倒れる瞬間に根が跳ねあがり、リックが10mも飛ばされたことがあった。幸い壊れたものは何もなかったが、もっと気を付けなければならなかった。その後はより注意深くなった。
雨、雨、雨
本当に雨が多かった。
先にも書いたが、ここは本当に雨が多かった。ラゴ・アグリオの年平均降雨量は3,500mm、コカは2,900mmもあり、東京のほぼ倍である。降雨日は年200日を超える。実際に調査の時は毎日午後になると雨が降った。
林内で雨に打たれるルナと増井
晴れると直射日光の下では猛烈に暑く、林内では蒸し暑い。しかし、雨に打たれると冷える。気温は16度くらいまで落ちることがある。帰ってびしょ濡れのままホテルのシャワーを浴びるのだが、よけいに冷えた。コカのホテルの水はアマゾン川の水をポンプ車で運んで来て、そのまま屋根の上のタンクに溜めたものだから、茶色く、雨の方が清潔なくらいだったが、汗混じりの雨は落としたかったのだ。
マチェーテ(南米のナタ)を持つ作業員らと共に
森の人パスクワル
パスクワルは強かった。重いチェンソーをかついてドンドン林内に入って行き、歩くのも早い。よくこんなに力があるものだと思うくらいに力がある。
あるとき緑色のヘビが木にからみついていて、インドネシアで見た猛毒のグリーンスネークとそっくりだった。パスクワルはその蛇を見つけると、マチェーテで頭を切った。他にも猛毒そうな小さい蛇は沢山いた。
パスクワルが切ったヘビ
また林内には毒蜘蛛タランチュラやさそり(エスコルピオン)も多く、あまり気分の良いものではなかった。
パスクワルに「林内にいるヘビやタランチュラ、さそりは気にならないか?怖くないか?」と聞いてみた。すると彼は「何が怖いんだ。危ないんだ?危ないことなど一つも無いさ。どんな生き物だって、俺の方が先に気が付くから全く問題ないさ。ヘビはマチェーテでイチコロだし、タランチュラやさそりなんてにぶいから簡単に踏みつぶせる。」とのことだった。
パスクワルもかなわなかったもの
しかし、パスクワルも蜂にはかなわなかった。大きな木を切り倒すと、木の上の方には蜂の巣がよくあった。倒すと黒い蜂、日本の地バチのようなハチが一斉に襲ってくるのだった。「逃げろ。」と全員が一目散に逃げる。するといつも逃げ遅れるのが木の真下にいるパスクワルだった。運悪く逃げ遅れると沢山のハチが毛髪の中に入ってしまい、大量にさされるのであった。全員ヘルメットをかぶっていたが、ヘルメットの脇から入ってしまうのだ。幸い私は遠くでみており、逃げ足も速く、刺されたことがなかったが、パスクワルは時々刺され、刺された翌日は調子が悪いと言っていたこともあった。
森の人パスクワル
【森林紀行No.1 11/18】「細かい問題の発生」
細かい問題の発生と石油開発
調査地域内の小さな湖。静かな湖面をカヌーで渡る先住民
伐採した樹木の大きさを測る。
細かい問題
作業員がゴネる
一人の作業員が数日働いた後にゴネだし、まだ、残業をしていなかったにもかかわらず「残業代をつけろ。」と言う。それに「土曜日働くなら2倍、日曜日働くなら3倍払え。」と言いだした。我々は、「基本的に、安全第一で極力残業しないようにしている。川の渡しなどで帰りが遅くなることがあるかもしれないが、実質的に労働時間は短い。それに雨で働けない日があったら休みにするから土日関係なく働く。日給はこの辺の相場よりも少し高く払っているので今のままの条件で働いてくれ。」と頼むと、「じゃあ働かない。」という。
もう一度事務所でじっくり話し、「遅くなった場合の残業代は付ける。土、日は仕事の進行具合を見て極力休むようにするが、働かなければならないときは働いてもらう。土曜日は2倍、日曜日は3倍払う。」ということで我々が折れて彼の言うことを認めた。
しかし、翌日になるとその作業員がまたゴネ出し、今使っているマチェーテ(南米のナタ、チームが貸している)をくれ、それに靴を買ってくれなければ働かないという。昨日我々が折れたのでゴネ得と思っているのだろう。「マチェーテは貸しているので仕事が終わったら返してもらう。我々の仕事は今後も続く。靴は自分で調達してくれ。いやなら別な人を雇うから、来なくていいよ。」と言ったら翌日から本当にこなくなってしまったので、少々驚いた。
仕方がないので別の作業員を雇った。作業員の雇用についてはヒメネスとモリーナが率先してやってくれたので問題はなかった。
小切手が落ちない
Banco Internacionalは現場の町ラゴ・アグリオで我々が泊まっているホテル「エル・コファン」の近隣にある。ある時私がサインした小切手の金が落ちないと作業員が言ってきた。漢字のサインを使っていて、急いで書いたので崩れた字で、銀行員には漢字は分からず、丁寧に書いた原本のサインと違って見えたのだ。仕方がないので銀行へ言って説明し、サインをもう一度してお金が下りた。それからサインは丁寧にするようになった。
毎日のパンク
借りたレンタカーとMAGの車は毎日パンクする。仕事に行くと毎日2台とも4本のうち、1本は必ずパンクした。2台とも1本のタイヤがパンクし、予備のタイヤと取り換えてからその後にパンクすることはなかったのは幸いだった。2本パンクしたら走れなくなる。ただ、積んでいる予備のタイヤと交換するのに毎日時間がとられるのがもったいなかった。我々も業を煮やし、タイヤ10本全部買ってやるからと全部取り変えさせた。すると次の日から一切パンクしなくなり、仕事がはかどった。
レンタカーとMAGの車なのでバカバカしかったがやはり仕事が進まないのでは仕方がない。多少の金を惜しまず思いきって変えて非常に良かった。
石油開発
先述したが、この地域は1960年代に石油が発見され、1970年代に本格的な石油開発が進んだ。これにより石油開発のための道路が開設され、政府が入植政策を進めていたこともあるが、許可を持たないアンデス山脈中に住む貧しい農民が多数、この道路に沿って入植してしまい、今度は横道を作って森林を伐採し、農地に転換して行くのである。もともとは先住民しかいなかった土地に新たな入植者が入って来て先住民の土地が奪われていった。
我々が調査を始めたこの年まで、この周辺の土地所有は誰のものともはっきりせず、あいまいであった。それをエクアドル政府は、この翌年国有林設定事業(日本の明治時代に行った官民有林区分のような事業)を始めるのであるが、我々日本の調査団がその境界設定のための測量をしていると入植者や先住民に誤解され、調査の反対運動にあい、調査は中断に追い込まれるのである。
石油開発の最先端
ダユマ周辺は石油開発の最先端の場所である。この道路の最先端に小さなテントを張り、寝泊まりして、森林の大木を伐採していたのは黒人たちであった。よくまあこんな劣悪な場所に寝泊まりさせられているなあと思うほど大変そうであった。顔も険しく、あまりしゃべらないので親しくはなれなかったが、彼らは1本いくらで伐採を請け負い、伐採しているのであった。最初にテキサコの技術者が石油が出る場所を探査してあるのだろう。その方向に向かって道路が延びていく。
石油開発のための道路が延びて行く。周辺の大木の樹高は30m~50m。
石油掘削地の整地
もちろん道路は石油掘削のためで、油田がある方向へ延びていくのだが、道路の延び方をみるとアンデス山脈に沿って南北方向に走って行く。油田は麓に沿って南北方向に分布しているのだ。
石油の採掘は次のように行っていた。まず、道路に近いところで、採掘井戸を作設するため周囲の森林を伐採する。ここも有用木を一本単位で、作業者に伐採を請け負わせている。
次に石油汲み上げ用井戸の掘削のために整地する。そして周囲が伐採されたところで、伐採した木を敷きつめ固めその上に砂利を引いてさらに固めて行く。
採掘用井戸を作設するため伐採された場所
木材を敷きつめ、その上に砂利をかけていく
井戸の作設
それができたら次に石油を採掘するための井戸を作設するのである。
石油採掘の井戸
安定供給
そして安定的に取れるようになると次のように自動的に石油が回収される簡易な井戸となるのである。
石油を自動採掘中の井戸
夏の必須アイテム!!
「暑い!!」 と、言っては毎日過ごしています。(夏だから当然と言えば当然ですが・・・)
そんな我が家ですが、
これまでエアコンなどというものはもとより、扇風機すら碌なものも無く過ごしてきました。
とはいうものの、今年はさすがに暑い。
暑い時の日中の室温は35度を優に超え、
夜10時を過ぎても30度を下回らない状況(@_@)
というわけで、今年は扇風機を購入!!
触っても安全なように、羽根なしタイプにしました。
これまでに比べれば、かなり涼しい感じがしています。
でも暑いものは、暑い (^_^;)
RYU。
8月の駒ヶ岳
プラスα
最近、ふとした事から文房具、特に万年筆に放っております!(`・ω・´)ゞ
最初は無理して1000円のを1本…次はちょっと頑張って3000円のを…
気がつけばペンケースの中は筆記具とは思えにない金額に…
ですが、「趣味の世界」の恐ろしいのはここからです。
ペンにこだわるのに飽きたらず、次にノート、万年筆のインク、鉛筆、ボールペン・カッター、マスキングテープ…
自宅の机の上は筆記具がところ狭しと積まれ、いったい何がしたかったのかわからなくなる始末。
ですが、こういった文房具は単に集めておわりではなく、実際に使用して、生活をちょっぴり贅沢にしてくれます。
ただペンをはしらせるのが、ただ線を書くのがこんなにも楽しいものとは…!!
とんでも無い、訳の分からない高価なものを買わなくても、
いつも使っている道具を、ちょっとだけ(意味もなく)グレードを上げてみると
(不必要に)愛着が湧いて来るはずです(希望的観測)。
…最後にちょっとした私物自慢。
1.満寿屋というメーカーのノート。とにかく紙質が良く、万年筆との相性がいい。安くはないデス
2.東京・浅草にあるカキモリというお店でセミオーダーで作れるノート。大体2000円くらいで作れるので、プレゼントなんかにおすすめです。
3.友人が作ってくれたトラベラーズノート。ノート自体がカスタムできて使い勝手もいい。
4.友人が作ってくれたロールペンケースと万年筆。一番高いのは定価5万円を超えるとか…
5.カメラはじめました。
written by 鯉