【森林紀行No.1 12/18】「標本木の調査」

森林紀行

伐採

チェンソーマン

  しばらくして2班とも良いチェンソーマンが見つかった。石油開発のため伐採をしていたので、大きなチェンソーを扱って、木を伐るのがうまかった。これでまた仕事がはかどるようになった。

  私の班のチェンソーマンはパスクワルといい、先住民である。

大木を伐るパスクワル(大木になると板根が発達する).jpg

大木を伐るパスクワル(大木になると板根が発達する)

 

同じ木を反対側から撮影.jpg

同じ木を反対側から撮影

 

 もう一方の班のチェーンソーマン。見守るのはモリーナ.jpg

 もう一方の班のチェンソーマン。見守るのはモリーナ

 

伐採した木を測る 

  伐倒したらまず2mおきに印をつけ、樹高を測り、2m毎に直径を測る。

樹高を測るルナ.jpg

樹高を測るルナ

 

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直径を測るメディナ

 

  当初、木の年輪は見えないだろうと思っていたが、年輪が見える木が多かった。年がら年中雨が多く、いつも暑いので、偽年輪が多いと思われた。それでも雨期と呼ばれるほど雨が多いのは4月~6月で、それらの月は300mm~400mm以上降り、その他の月でも200mm程度は降るのである。それでも月雨量に150mm~200mmもの差があるので、4月~6月に最も成長すると推定し、年輪幅を測り、成長速度を予測することとした。

いくつもの年輪、疑年輪がわかる.jpg

いくつもの年輪、疑年輪がわかる

 

年輪を測る.jpg

年輪を測る

 

板根を伐る

  木の直径が1m以上、樹高が30m~50mもある木を切り倒すと、伐るのに半日くらいかかってしまう。それは大木には板根が発達しているからで、沢山の板根を持っている木が多く、それを一つ一つ伐っていって、ようやく幹にたどりつくのである。

 

  板根が発達する理由は、熱帯は雨が多く暑いので、落ち葉など養分になるものがすぐに分解してしまい、またすぐに流されるので、土壌の表面にしか養分が蓄積しないため、表層の養分を吸収するためである。暑いので植物体の生産も早いが、分解されたり流されたりして養分が土壌に蓄積しないのだ。つまり土壌中の養分の蓄積の少なさを早い養分の供給(木の葉が沢山落ちすぐ分解する)、早い回転で補っているので木の成長が速く見えるのだ。

  そのためその養分を求めて木の根は、表面を浅く横に這い地中深く下に入らない。そのため木が大きくなるとその巨体を支えるために板根が発達するのだ。 

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板根を一つずつ伐っていって木を倒す

 

背景の木は板根の幅だけで10m以上もある大木.jpg

背景の木は板根の幅だけで10m以上もある大木

 

木の根に跳ね飛ばされる。

  ある時、MAGに帰ってからの打合せの時に、Y君が木の根に跳ね飛ばされたと言った。危ないから伐っている木のそばに近づくなと口酸っぱく言っていたのだが、近くで見ていたのだ。倒れるときに根が跳ねあがり、自分も飛ばされたとのことだった。幸い何の怪我もなくよかったが。

  また、私とI君がリックサックを木から4~5m離れていたところに置いていたことがあり、やはり木が倒れる瞬間に根が跳ねあがり、リックが10mも飛ばされたことがあった。幸い壊れたものは何もなかったが、もっと気を付けなければならなかった。その後はより注意深くなった。

  

 

雨、雨、雨

本当に雨が多かった。

  先にも書いたが、ここは本当に雨が多かった。ラゴ・アグリオの年平均降雨量は3,500mm、コカは2,900mmもあり、東京のほぼ倍である。降雨日は年200日を超える。実際に調査の時は毎日午後になると雨が降った。 

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林内で雨に打たれるルナと増井

 

  晴れると直射日光の下では猛烈に暑く、林内では蒸し暑い。しかし、雨に打たれると冷える。気温は16度くらいまで落ちることがある。帰ってびしょ濡れのままホテルのシャワーを浴びるのだが、よけいに冷えた。コカのホテルの水はアマゾン川の水をポンプ車で運んで来て、そのまま屋根の上のタンクに溜めたものだから、茶色く、雨の方が清潔なくらいだったが、汗混じりの雨は落としたかったのだ。 

マチェーテ(南米のナタ)を持つ作業員らと共に.jpg

マチェーテ(南米のナタ)を持つ作業員らと共に

  

森の人パスクワル

  パスクワルは強かった。重いチェンソーをかついてドンドン林内に入って行き、歩くのも早い。よくこんなに力があるものだと思うくらいに力がある。

  あるとき緑色のヘビが木にからみついていて、インドネシアで見た猛毒のグリーンスネークとそっくりだった。パスクワルはその蛇を見つけると、マチェーテで頭を切った。他にも猛毒そうな小さい蛇は沢山いた。

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パスクワルが切ったヘビ

 

  また林内には毒蜘蛛タランチュラやさそり(エスコルピオン)も多く、あまり気分の良いものではなかった。

  パスクワルに「林内にいるヘビやタランチュラ、さそりは気にならないか?怖くないか?」と聞いてみた。すると彼は「何が怖いんだ。危ないんだ?危ないことなど一つも無いさ。どんな生き物だって、俺の方が先に気が付くから全く問題ないさ。ヘビはマチェーテでイチコロだし、タランチュラやさそりなんてにぶいから簡単に踏みつぶせる。」とのことだった。

 

パスクワルもかなわなかったもの

  しかし、パスクワルも蜂にはかなわなかった。大きな木を切り倒すと、木の上の方には蜂の巣がよくあった。倒すと黒い蜂、日本の地バチのようなハチが一斉に襲ってくるのだった。「逃げろ。」と全員が一目散に逃げる。するといつも逃げ遅れるのが木の真下にいるパスクワルだった。運悪く逃げ遅れると沢山のハチが毛髪の中に入ってしまい、大量にさされるのであった。全員ヘルメットをかぶっていたが、ヘルメットの脇から入ってしまうのだ。幸い私は遠くでみており、逃げ足も速く、刺されたことがなかったが、パスクワルは時々刺され、刺された翌日は調子が悪いと言っていたこともあった。 

森の人パスクワル.jpg

森の人パスクワル

 

 

  

 

【森林紀行No.1 11/18】「細かい問題の発生」

森林紀行

細かい問題の発生と石油開発

 調査地域内の小さな湖。静かな湖面をカヌーで渡る先住民.jpg

 調査地域内の小さな湖。静かな湖面をカヌーで渡る先住民

伐採した樹木の大きさを測る。.jpg

伐採した樹木の大きさを測る。

 

細かい問題

作業員がゴネる

 一人の作業員が数日働いた後にゴネだし、まだ、残業をしていなかったにもかかわらず「残業代をつけろ。」と言う。それに「土曜日働くなら2倍、日曜日働くなら3倍払え。」と言いだした。我々は、「基本的に、安全第一で極力残業しないようにしている。川の渡しなどで帰りが遅くなることがあるかもしれないが、実質的に労働時間は短い。それに雨で働けない日があったら休みにするから土日関係なく働く。日給はこの辺の相場よりも少し高く払っているので今のままの条件で働いてくれ。」と頼むと、「じゃあ働かない。」という。

 もう一度事務所でじっくり話し、「遅くなった場合の残業代は付ける。土、日は仕事の進行具合を見て極力休むようにするが、働かなければならないときは働いてもらう。土曜日は2倍、日曜日は3倍払う。」ということで我々が折れて彼の言うことを認めた。

 しかし、翌日になるとその作業員がまたゴネ出し、今使っているマチェーテ(南米のナタ、チームが貸している)をくれ、それに靴を買ってくれなければ働かないという。昨日我々が折れたのでゴネ得と思っているのだろう。「マチェーテは貸しているので仕事が終わったら返してもらう。我々の仕事は今後も続く。靴は自分で調達してくれ。いやなら別な人を雇うから、来なくていいよ。」と言ったら翌日から本当にこなくなってしまったので、少々驚いた。

 仕方がないので別の作業員を雇った。作業員の雇用についてはヒメネスとモリーナが率先してやってくれたので問題はなかった。

 

小切手が落ちない

 Banco Internacionalは現場の町ラゴ・アグリオで我々が泊まっているホテル「エル・コファン」の近隣にある。ある時私がサインした小切手の金が落ちないと作業員が言ってきた。漢字のサインを使っていて、急いで書いたので崩れた字で、銀行員には漢字は分からず、丁寧に書いた原本のサインと違って見えたのだ。仕方がないので銀行へ言って説明し、サインをもう一度してお金が下りた。それからサインは丁寧にするようになった。

 

毎日のパンク

 借りたレンタカーとMAGの車は毎日パンクする。仕事に行くと毎日2台とも4本のうち、1本は必ずパンクした。2台とも1本のタイヤがパンクし、予備のタイヤと取り換えてからその後にパンクすることはなかったのは幸いだった。2本パンクしたら走れなくなる。ただ、積んでいる予備のタイヤと交換するのに毎日時間がとられるのがもったいなかった。我々も業を煮やし、タイヤ10本全部買ってやるからと全部取り変えさせた。すると次の日から一切パンクしなくなり、仕事がはかどった。

 レンタカーとMAGの車なのでバカバカしかったがやはり仕事が進まないのでは仕方がない。多少の金を惜しまず思いきって変えて非常に良かった。

  

石油開発

 先述したが、この地域は1960年代に石油が発見され、1970年代に本格的な石油開発が進んだ。これにより石油開発のための道路が開設され、政府が入植政策を進めていたこともあるが、許可を持たないアンデス山脈中に住む貧しい農民が多数、この道路に沿って入植してしまい、今度は横道を作って森林を伐採し、農地に転換して行くのである。もともとは先住民しかいなかった土地に新たな入植者が入って来て先住民の土地が奪われていった。

 我々が調査を始めたこの年まで、この周辺の土地所有は誰のものともはっきりせず、あいまいであった。それをエクアドル政府は、この翌年国有林設定事業(日本の明治時代に行った官民有林区分のような事業)を始めるのであるが、我々日本の調査団がその境界設定のための測量をしていると入植者や先住民に誤解され、調査の反対運動にあい、調査は中断に追い込まれるのである。

  

石油開発の最先端

 ダユマ周辺は石油開発の最先端の場所である。この道路の最先端に小さなテントを張り、寝泊まりして、森林の大木を伐採していたのは黒人たちであった。よくまあこんな劣悪な場所に寝泊まりさせられているなあと思うほど大変そうであった。顔も険しく、あまりしゃべらないので親しくはなれなかったが、彼らは1本いくらで伐採を請け負い、伐採しているのであった。最初にテキサコの技術者が石油が出る場所を探査してあるのだろう。その方向に向かって道路が延びていく。

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石油開発のための道路が延びて行く。周辺の大木の樹高は30m~50m。

 

石油掘削地の整地

 もちろん道路は石油掘削のためで、油田がある方向へ延びていくのだが、道路の延び方をみるとアンデス山脈に沿って南北方向に走って行く。油田は麓に沿って南北方向に分布しているのだ。

 

 石油の採掘は次のように行っていた。まず、道路に近いところで、採掘井戸を作設するため周囲の森林を伐採する。ここも有用木を一本単位で、作業者に伐採を請け負わせている。

 次に石油汲み上げ用井戸の掘削のために整地する。そして周囲が伐採されたところで、伐採した木を敷きつめ固めその上に砂利を引いてさらに固めて行く。

採掘用井戸を作設するため伐採された場所.jpg

採掘用井戸を作設するため伐採された場所

木材を敷きつめ、その上に砂利をかけていく.jpg

木材を敷きつめ、その上に砂利をかけていく

 

井戸の作設

それができたら次に石油を採掘するための井戸を作設するのである。

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石油採掘の井戸

 

安定供給

 そして安定的に取れるようになると次のように自動的に石油が回収される簡易な井戸となるのである。

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石油を自動採掘中の井戸

 

 

夏の必須アイテム!!

ゼンシンの日々

「暑い!!」 と、言っては毎日過ごしています。(夏だから当然と言えば当然ですが・・・)

そんな我が家ですが、

これまでエアコンなどというものはもとより、扇風機すら碌なものも無く過ごしてきました。

とはいうものの、今年はさすがに暑い。

暑い時の日中の室温は35度を優に超え、

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夜10時を過ぎても30度を下回らない状況(@_@)

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というわけで、今年は扇風機を購入!!

触っても安全なように、羽根なしタイプにしました。

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これまでに比べれば、かなり涼しい感じがしています。

 

でも暑いものは、暑い (^_^;)

RYU。

8月の駒ヶ岳

社窓


8月の駒ヶ岳

いよいよ夏本番!!

中央アルプスも南アルプスも強い日射しと高い湿度のためか、なかなかスッキリ見えません。

 

連日暑い日が続いていますが、夏バテしていませんか?

『夏バテ』

一昔前は、夏の暑さで体力低下や食欲不振となるなどする、

いわゆる「夏やせ」という症状が主なものであったようですが、

最近では、冷房の効いた室内と屋外との気温・湿度の急激な変化によって自律神経のバランスが崩れ、

体調を崩したりすることも多くなっているとのこと。

冷房も上手につかいながら、しっかり栄養をとって乗りきっていきましょう!!

 

[南アルプス]

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一方、こんな暑さでも菜園の野菜達は益々元気です!!

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プラスα

ゼンシンの日々

 

最近、ふとした事から文房具、特に万年筆に放っております!(`・ω・´)ゞ

最初は無理して1000円のを1本…次はちょっと頑張って3000円のを…

気がつけばペンケースの中は筆記具とは思えにない金額に…
ですが、「趣味の世界」の恐ろしいのはここからです。
ペンにこだわるのに飽きたらず、次にノート、万年筆のインク、鉛筆、ボールペン・カッター、マスキングテープ…

自宅の机の上は筆記具がところ狭しと積まれ、いったい何がしたかったのかわからなくなる始末。

ですが、こういった文房具は単に集めておわりではなく、実際に使用して、生活をちょっぴり贅沢にしてくれます。
ただペンをはしらせるのが、ただ線を書くのがこんなにも楽しいものとは…!!

とんでも無い、訳の分からない高価なものを買わなくても、

いつも使っている道具を、ちょっとだけ(意味もなく)グレードを上げてみると
(不必要に)愛着が湧いて来るはずです(希望的観測)。




…最後にちょっとした私物自慢。
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1.満寿屋というメーカーのノート。とにかく紙質が良く、万年筆との相性がいい。安くはないデス
2.東京・浅草にあるカキモリというお店でセミオーダーで作れるノート。大体2000円くらいで作れるので、プレゼントなんかにおすすめです。
3.友人が作ってくれたトラベラーズノート。ノート自体がカスタムできて使い勝手もいい。
4.友人が作ってくれたロールペンケースと万年筆。一番高いのは定価5万円を超えるとか…
5.カメラはじめました。

written by 鯉

 

【森林紀行No.1 10/18】「アマゾン川の踏査」

森林紀行

アマゾン川の支流

思ったより流れの速い源流域

 アマゾン川は、本当に大きい。我々は最上流部、源流部にいて標高は約300mである。このあたりから平坦となり、ここから6,000Km下ったところが河口だ。すると平均傾斜は2万分の1だ。つまり、100m下って5mmしか傾いていないのだ。

 

 だから日本で考えていたときは、流れはきっと緩やかだろうと思っていた。しかし、実際に源流域を見ると流れは思っていたよりもずっと早かった。流れが特に早く波立っている場所もあった。水深が浅いのであろう。

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以外に早い上流域の流れ(波立っているのは水深が浅いから)

 

 

ナポ川を下る

 調査地域の支流で一番大きい川はナポ川と呼ばれており、それ以外にアグア・リコ川もあり、どちらも上流域、下流域とも調査した。

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船乗り場(小さなボートで川の渡しの商売をしている人も多い)

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ナポ川沿いを調査

 

 

 アマゾン川の支流のナポ川をコカから下りプリマベーラ(Primavera:春という名の集落)まで約30kmを往復した。一番広いところで川幅は約1kmほどもある。

 

 水速は7~8Kmだった。行きに1時間10分ほどかかり、帰りは1時間40分ほどかかった。

 また、ラゴ・アグリオからアグア・リコ川周辺は比較的穏やかで水速は4~5kmだった。

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アグア・リコ川を行く(少年達の運転で上流へ)

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上流部は比較的穏やか。しかし水量は多い。

 

 

 また、フローテルという遠方から来ている遊覧の船上ホテルもあった。

 

 よくもまあ、こんな奥地まで遊覧に来るなあと思ったものである。アマゾン川がそれだけ大きいということであろう。

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フローテル(船上に浮かぶホテル、蚊や虫が多そう)

 

 

本格調査開始

輪尺を作る

 モリーナは輪尺をみて、直径が1mかそれ以上大きい木を測れる輪尺をラゴ・アグリオの製材所で作らせれば簡単にできるという。mm単位で測っているので正確さが必要で、難しいからだめだろうと言うと、「大丈夫だ。できるから。」と言うので、「じゃあ、試しに作ってみろ。」と言うと実際ラゴ・アグリオの製材所で1m20cmまで測れるものと1mまで測れるものの2本を作ってきた。確かめてみると日本製とまったく同じ正確さを持っているので、これで調査が随分とはかどることになった。

  

本格的に調査を始める

 2班に分かれて調査を始めようということで、1班は増井、I君、カウンターパートがラゴ・アグリオ周辺の営林署にいる、ルナ(Luna)、メディーナ(Medina)、2班がWさん、Y君、モリーナ(Molina)、アロンソ(Alonzo)で始めた。それにそれぞれの班に道案内人と木を伐採するチェンソーマンと作業員を数名雇った。

 だいたい、いつも同じ場所に行き、そこで二手に分かれ、樹木を伐採測定し、帰るときは分かれた場所で落ち合い一緒に帰るようにした。

 

ルナ、メディーナ、アロンソ

 彼らは、エクアドル森林局の職員で、この周辺の営林署から集められた技術者で、我々のカウンターパート(共同作業技術者)である。

 ルナは、私より少し年配であった。痩せていて体力がなさそうであったが、森の中では逆に強かった。良くものを考える人だった。しかし、交通事故を起こした時、最も重体であり、その後も不幸が続き、一時一般人との付き合いはできなかったが、この調査が終わるころにはまたMAGに復帰していた。

ルナと調査中に胴の厚さを測り遊ぶ.jpg

ルナと調査中に胴の厚さを測り遊ぶ

 

 

 メディーナは中堅どころだった。仕事は良くやったが、仕事に楽しさを感じているかどうかは分からなかった。

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伐採木の直径と樹高を測るメディーナ

 

 アロンソは一番若く、いろいろな事に興味を持っていたが、まだものごとを深く考える習慣がついていなかったので、これから経験を積む必要であった。

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大木の大きな板根の上に座るアロンソ

 

プール

ゼンシンの日々

梅雨も明け日差しが強く暑い日が続きます。

皆様、熱中症には十分注意しましょう。

 

連日30度を超し暑くてたまらないですね。こんな時には「プール」です。

子供達を連れて近所の市民プールへ出かけました。

ちょうど、オープン日で無料開放していてラッキー。(通常でも大人150円園児無料なのですがLaughing

 

 

プール1.jpg

 

 

しかしこの日は、あいにくの曇り空で気温もさほど高くなくどちらかといえば涼しいくらいでしたCry

しかし子供たちは元気いっぱい二時間ほど泳ぎましたが、さすがに寒くなったらしく、

せっかくお弁当を作って来たのに食べずに帰る事となりました(義母さんすみません)。

 

 

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次は天気の良い日に行きたいと思います。

 

oza

【森林紀行No.1 9/18】「陸上の踏査」

森林紀行

ラゴ・アグリオ周辺

樹木を伐採してデータを採取する前に森林全体の状況を調べることにした。ついにアマゾンの森林を直接見ることができるとのかと身が引き締まる思いであった。まずは、ラゴ・アグリオ周辺を見ることにした。

いきなり度肝を抜かれる

早速大蛇のお出ましである。道路の補修の様な作業をしていた人達がボアを捉まえていた。

大蛇ボア.jpg

いきなり出くわした大蛇ボア(力がありそうな胴体)

捉まえたボアは長さが約4m。太さは太いところで15cm以上はあった。これに巻かれたたらひとたまりもないだろう。しかし、毒はないし人間を襲うことはなさそうだ。動きもにぶいし、毒を持っていることではパラグアイに多くいた1-2mのガラガラヘビの方がずっと危なそうだった。

また、人が飼っていたが森で捉えた珍しいサルにも出会い、その後どんな珍しい動植物に出会えるのかワクワクドキドキな思いであった。

その後、ボアには時々出会ったので、相当数のボアがいたのであろう。

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珍しいサル。夜行性のヨザル(オマキザル科)

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日常的に出会ったボア、4m程度

ラゴ・アグリオで釣る

ラゴ・アグリオというのは酸っぱい湖という意味である。実際その湖があるので、行ってみた。熱帯で暑く雨が多いので、いろいろな微生物が繁殖して冨栄養になるのであろう。水は濃緑茶色で全く透明度がない。どろんとしていて底なし沼のようである。湖のほとりにカヌーが置いてあり、乗ると船べりの上の方まで水がきた。幸い水は中には入らなかったが、今にも沈みそうである。櫂で漕いで少し先まで行ってみた。しかし、見るからに水中から妖怪のようなものが現れそうな不気味な色で、とても沖まで行く気がしなくて、すぐに引き返す。

小さいリール竿を持ってきていたので、釣りをしてみようとエサを捜すと湖のほとりでミミズが捉まえられた。そこで、投げ込んでみた。するとすぐに20cmくらいのアイナメのような形の魚が釣れた。魚が多いのであろう。エクアドルの技術者もかなりいたので、すぐに釣れて鼻高々であった。しかし、知らない魚で見た目が良くないのですぐに放し、別な場所へ踏査に行った。

 

ラゴ・アグリオとコカ間の偵察、すべる道路

それから数日後まずは、ラゴ・アグリオから道路が通じている南のコカまで行ってみることにした。この間は約90Kmである。この道路には原油から石油を取ったあとの残りカスをアスファルトまで製造しないで、そのままアスファルトの代わりに敷いていた。そのため一見アスファルトの様に見えたが、雨が降ると非常にスリップし易く、車で走る時は相当に気をつけなければならなかった。

また道路に沿って、鉄管の石油のパイプラインが走っており、直径80cmくらいもあるかなり太いパイプが敷設されている場所もあった。細い物では直径10cmくらいであった。

それでも皆車を飛ばすので、本当に危なかった。実際に一度跳ねられて死んだ人を見た。それにバスの転覆事故を2度見た。危ない。更に、少し経った後、我々もカウンターパートが交通事故を起こし、大変な目に会ったが、それは後述する。

むしろ未舗装の道の方の方が安全だった。例えば東のシュシュフィンディに行くには、ラゴ・アグリオから約40kmほど南に行き、それから東に向かう道路があり、それは未舗装だった。交通量は少なかったが、スピードも出せないので安全だった。

雨が降ると滑る道.jpg

雨が降ると滑る道路

(雨が非常に多く、アスファルトにまでしない石油を取った残りかすを敷いた道路。脇に石油のパイプラインが並走する。)

 

ハシケ

ラゴ・アグリオを出発するとすぐにアグア・リコ川(Agua rico:豊富な水)に出会う。そこはガバラ(Gabarra:ハシケ)で渡らなければならなかった。川幅は50m程だったがこれは交通の障害もはなはだしかった。ハシケの甲板は長方形で、車を数台載せることができた。車が数台のりハシケが満杯になるまでハシケは動かず、乗ってから渡り終えるまではだいたい1時間くらいかかった。場合によっては2時間以上もかかることがあった。回りは何を見ていても珍しいものばかりだったので、退屈するなどということは全くなく、時間の経つ不思議さを感じていた。

ハシケ.jpg

ハシケのことをスペイン語でガバラという

この川には1987年に行ったときには橋がかけられていて、大変に便利になったものだと思ったものである。

バス・人を運ぶハシケ.jpg

バスも車も人も運ぶハシケ

試しに伐る

ハシケを降りてからしばらく走って途中の入植者の奥にある山に入ってみる。高さ20mほどで胸高直径(胸の高さ1.3mの位置の木の直径)20cmくらいの細い木を一本チェンソーで倒して、2m置きに直径を測った。

いくらでも木はあるが、伐るのは石油基地や入植地で、すぐに伐られる運命にある木に絞った。

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途中にあった入植者の家。カヤ葺きの掘立小屋

周りには直径1mを超える木も沢山あり、日本から持ってきた直径60cmまで測れる輪尺(木の胸高直径を測る道具。大型のノギスのようもの)ではまにあわず、それより大きい木は直径巻尺(樹幹の周囲を回して測り、直径が読みとれるようにしたもの。表面は円周率倍の目盛が付けてあり、裏面は普通の巻尺である。輪尺で測るより時間がかかる。)で測ることにした。

その日はコカに行き、コカに泊まった。しかし、コカの手前にナポ川の支流のコカ川があり、そこも同じように橋が無く、ハシケで渡らなければならなかった。そこでも渡るのに1時間はかかるのであった。

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道路際で山から伐ってきた木を製材し、椅子やタンスを作り販売している人もいた

コカにはホテルアウカ(Auca:アウカは先住民の一部族名)というホテルがあった。

このホテルは、以前はテキサコが石油開発のために作業員用に作り、使っていた宿舎だったということでそれを改造し、ホテルにしたとのことだった。

外見はトロピカルな雰囲気で、食堂が道路に面していてきれいそうに見えたが、中の部屋はどこも汚かった。とりあえず偵察で一泊した。

翌日コカのMAGの事務所に行くとアメリカ人の平和部隊(Peace corps、日本が青年海外協力隊として模倣した)の隊員2人とアメリカ人の訪問者が1人いた。しばらく談笑してMAGがアグロフォレストリー用の苗畑を持っているというので見に行った。植栽樹種の育苗方法や期間、植栽時期などを聞き取りして、ラゴ・アグリオに戻った。

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外見はトロピカルな雰囲気のホテルアウカ。中身は汚く居心地が悪い。

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コカのMAG事務所。きちんとしていた。

 

つづく

7月の駒ヶ岳

社窓


7月の駒ヶ岳

例年より早く梅雨入りした分、早く梅雨明けしたような感じ。

一気に30度越えの真夏の日射しがやってきました (^_^;)

これから気温があがると注意しなければならないのが熱中症。

私たちも屋外の現場では、定期的に休憩をとって水分補給をしたり、塩飴などで塩分を補給したりする、など熱中症の対策をしっかりととって作業にあたっています。

皆さんも、特に屋外の作業の際には体調に十分ご注意ください。

 

[南アルプス]

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さて、ゼンシン菜園でも、いよいよ収穫がはじまりまりました。

まずは、キュウリ。油断してたらいきなりゴーヤみないなキュウリになりました。

これは、浅漬けにしておいしくいただきました。

これから、夏の日射しを一杯浴びた野菜たちがたくさん収穫できるかな。

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【森林紀行No.1 8/18】「ラゴ・アグリオにて」

森林紀行

ホテル エル・コファン

 ラゴ・アグリオに着いてすぐにホテルエル・コファン(El Cofan:コファンとは先住民の一部族名)にチェック・インした。荷物を部屋に入れてすぐ隣りの電話局へ電話をかけに行った。

 当時このホテルはできたばかりで新しかったが、床やドアが歪んでいて建て付けが悪く、また部屋も狭くて居心地は良いとはいえなかった。しかし、ここが最良でここより良いホテルはなく、シャワーもトイレも付いているし、キャンプに比べれば天国と思ったものである。

8/

ホテル エル・コファンの部屋(増井が最初に泊まった部屋。

部屋が狭かったのでベッドにいろいろ広げて整理)

 8/18ラゴ・アグリオにて 2

ホテル エル・コファンの経営者の家族達と(長逗留するうちに家族とも親しくなった)

団長に電話

 当時ラゴ・アグリオから電話回線はキトーに2回線しかなく、電話局へ行かなければなかった。幸い電話局がホテルの隣だったので、夜は待っている人がいなくて、閉局少し前の夜9時にキトーにいる団長に電話が繋がり、無事ラゴ・アグリオに到着したことを報告した。

印象に残った傲慢なアメリカ人

 ホテルエル・コファンに泊まっていたアメリカ人がここの電圧はいくらかと聞いてきた。私は「one hundred ten volt」と言うとアメリカ人は「お前はそんなことの言い方も知らないのか。教えてやる。それはone tenと言うのだ。」と非常に感じ悪く、人が親切に教えてやったのに威張っていて、いかにも普通に傲慢なアメリカ人で、感じが悪かった。

 

ラゴ・アグリオの町の印象

 調査基地とした町はこのラゴ・アグリオとコカの2つであり、どちらも同じくらいの期間滞在したが、コカの方がより生活条件が悪かったので、印象はコカの方が強い。とは言うもののこの当時のラゴ・アグリオも生活条件は相当悪かった。

 ラゴ・アグリオは1970年台に石油開発で開かれたということで、まだできて新しい町だった。町は碁盤の目のように道路が通っていたが、まだ舗装もされていなく、砂利道で車が通ると砂ぼこりがひどかった。空き地も相当あり、徐々に建物が建てられつつあった。そのため、まだまだ整った町ではなく、西部劇でみるような荒くれ者が流れて来るような非常にガサツで汚いという印象を持った。治安は悪いといわれていたが、実際に相当悪かったのだろう。

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最初に石油が発見された最初の井戸の記録を書いた看板

(1967年2月16日?1967年3月29日)

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ラゴ・アグリオの町(未舗装で、建築中の建物も多かった。)

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ラゴ・アグリオを走るバス(トラックの荷台に座席を作り改造)

食堂や店屋

 ホテル以外にもいくつか食堂があり、よく外の食堂に夕食を食べに行った。印象に残っているのは野外で屋台のような場所があったが、カルド・デ・ガジーナ(Caldo de gallina)といって鶏肉を煮込んだスープがとても美味しかった。しかし、4本指の鶏足が、そのまま入っていて、それもおいしいのだが形を見てしまうと鶏足だけは何となく進んで食べにくかった。中華料理屋も1軒あった。こんな奥地にもさすがに中国人。そして町はずれに韓国人が雑貨屋を開いていた。そこで良く買い物をしたが、そこの主人は私が帰国してまた来る時にいろいろ必要物を買ってきてくれるよう私に頼んだ。適当に生返事で、お茶を濁していたが、だめもとで知らない人にでも頼みごとをするだけ彼らは生命力が強いのだろう。

飲屋

 ラゴ・アグリオにも何軒かの飲屋があった。そのうち一番きれいな飲屋にヒメネスとモリーナがよく連れて行ってくれた。ビール以外にはロン(ラム酒)があり、ロン・カスティージョ(Ron Castillo:城のロン)というのが、結構いけた。

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左からモリーナ、増井、ヒメネス。彼らは長時間飲むのが好きだった

 

打合せ

ヒメネスの事務所へ

 翌日早速ヒメネスの事務所に行き、調査について打ち合わせた。

 最初は改めて何を調査するかについての打合せである。つまり今回の調査の材積表作りのためのデータを集める仕事であり、標本木として150本を伐採するのをどのあたりで行うかが中心であった。この他にペンタプリズマ(簡易に直径を測ることができる器具。器具の中にプリズムが入っていて樹木までの距離に関係なく、カメラのファインダーのようなものを覗くと、樹木の幹の左端と右端を直線で合わせられるようになっていて、それを合わすと、バーが幹の直径と同じ長さにスライドし、幹の直径が測れるもの)で200本ほどのデータを取ることであった。

 これは次に述べるように、この周囲でアクセスができる5つの地域から概ね30本ずつ、木の胸高直径(太さ)をバラつかせて取ることにした。

 次は日程で、どの辺りをいつ頃調査するか、そして調査の前に全体の概況調査をするなどであった。

 そして調査メンバーをどういうグループにするか、作業員と森の案内人、チェンソーマンなど何人くらい必要かなどを打ち合わせた。

 必要な作業員達はヒメネスが手配してくれることになった。このことは後述するが、最初に雇った作業員がいろいろ要求してくるので結局クビにしたけれど、この地域の生活の厳しさを感じた。

ヒメネス

 ヒメネスは赤ら顔のスペイン系で、非常に調子が良くて、何でもオーケー、オーケーというタイプなので大分迷惑を蒙らされた。ラゴ・アグリオからキトーに仕事に行った時も月曜日に行き、木曜日に戻って来ると言って出かける。3日後に帰ってくるのだなと思っていると、帰ってくるのは必ず1週間後か2週間後の木曜日なのであった。本当にいいかげんであった。

調査地域

 標本木を採取するのに、この地域全体に適用できるようにするため、5つの地域から採取することとした。概ね集落がある。ラゴ・アグリオとコカが比較的大きな町で、その他小さな集落で、そこまでアクセスできる道路があった。

 ダユマは石油開発のために道路を作設中の最先端で、貧しい作業員だけのいる場所である。

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標本木を選んだ地域

上の図に示す所である。

                               1      ラゴ・アグリオ周辺

                               2      テテテス周辺

                               3      シュシュフィンディ周辺

                               4       パヤミーノ周辺

                               5       ダユマ周辺

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