辰年

ゼンシンの日々

新年のご挨拶を申し上げるには、やや間延びした感がありますが・・・
今年もよろしくお願いいたします。

先日、銀行に行き、手続きを待つ間、店内にある案内のボードを見ていたら
「辰年」のことが書かれていました。そのままパクリですみませんが

【竜は天に昇る様子が成功や発展の象徴とされ、
この辺で「竜」といえば天竜川。
諏訪湖から太平洋まで213kmあり、日本で9位の長さとのこと!】

会社では天竜川に関連する仕事もいただいているし、
竜にあやかって上昇の良い年にしたいと思います。

[増井 博明 森林紀行 番外編 地域探訪の小さな旅]No.11 高水三山

森林紀行

冬の山歩き
 奥多摩の高水山を目的に、2023年12月16日(土)に登った。青梅線の御嶽(みたけ)駅から登り始め、グルッと回るような形で軍畑(いくさばた)駅に降りた。ここは、惣岳山(そうがくさん756m)、岩茸石山(いわたけいしやま793m)、高水山(たかみずさん759m)の三山が高水三山として有名である。この日は冬の山とは思えない暖かさで、山歩きをおおいに楽しんだ一日であった。

高水三山の地図

家を出発
 家を7時半頃出たが、今回も出発時には、暗い雲が空を覆い、またしても雨が降りそうだった。実際、高水山方面は雨だった。雨に備え、折り畳み傘とゴアテックスの雨具を持ち、登山用の杖を1本持った。しかし、天気予報では、朝の曇天は段々と晴れてきてで、気温は23℃まで上がり、冬とは思えない暖かさになるとのことだった。

集合
 集合は青梅線の御嶽駅に9時37分だったが、少し早く着いたのでひとしきり駅で皆を待っていた。駅へ来る間に、段々と晴れ間も出てきて、安心した。今回のメンバーは、リーダーはいつものレオさん。集まったのは合計10人だった。外国人3名、日本人7名。男女5名ずつだった。

朝の青梅駅。ここで乗り換え御嶽駅へ
御嶽駅、段々と晴れ間が見えてきた

御嶽駅
 御嶽駅では駅前に登山ルートの看板があった。この看板は左側が北を指している。

駅前の看板
同上
晴れ間が広がってきた

登り口を間違える
 上の地図に従い、御嶽駅を右側におり、軍畑駅方面に上に向かって歩いたが、御嶽駅を過ぎたらすぐに左側に入り、踏切を渡り、神社を通って山道に入るはずが、その左側の入り口が分からず川に沿ってしばらく上方向(下流)に行ってしまった。道路と川がカーブする場所まで来て入り口を通り過ぎたことが分かり引き返した。ほんの5分ほど、往復10分ほどのロスである。
 引き返し、踏切を渡る登り口を見つけ、踏切を渡った後に神社に入っていった。慈恩寺である。ここで、あまりに暑く、もう汗をかき始めたので、私は、夏用の速乾吸湿のTシャツに着かえた。ところがそれがまた間違いのもと、そこに置いた杖を忘れてしまったのだ。

慈恩寺へ
 慈恩寺の中を通り上へ登って行く。ここから412mのピークまで尾根を直登だ。御嶽駅が標高約250mだから約160mの直登だ。
 慈恩寺の上には寺には良く植えられるナンテンやマンリョウなど赤い実が付く木が植えられ、いかにも寺院らしい。お寺の庭に、ナンテン(南天)やマンリョウ(万両)が植えられるのは、南天は「難転じて福となす」という縁起物として、鬼門や裏鬼門に植えられ、万両は「万事成就」ということで、やはり縁起物として植えられるとのことである。
 私は、半袖のTシャツに着替えたとはいえ、暑くて汗が噴き出す。

慈恩寺の入り口
慈恩寺
ナンテン
慈恩寺の上を登っていく

慈恩寺の入り口に杖を忘れ取りに戻る
 しばらく登り、標高で約50mくらい登ったところで、杖を持っていないことに気づいた。本当にもうボケが始まっている。神社の入り口に杖を置いたことを思い出した。皆に「杖を取りに行ってくるから先に行っていてくれ。」と言って、急いで杖を取りに戻る。これにより皆より30分は遅れ、その上、自分の体力も消耗するはめとなる。

最初に引き返したところまで戻る
 神社の入り口まで戻って杖を捜すが、杖が見つからない。「何故だ?おかしい。」何回も良く捜すが見つからない。「おかしいなあ。誰かが持って行ってしまったのかなあ?変だなあ?」と思いながら、仕方がないので、最初に駅から下った道と川がカーブし、皆で引き返した所まで戻ってみるが杖は見つからない。途中、登山道具のアウトレットの店があったので、そこに杖を届けてくれた人はいないか聞いてみるが、「いない。」と言われ、仕方がないので、杖はあきらめ、皆に追いつこうと踏切を渡り、慈恩寺の入り口まで来る。

杖が見つかる
 そこで、上方向をみると、杖があるではないか?「やあ、良かった。」とホットした。上から見る角度と下から見る角度が違うので、見つからなかったのだろうか?それにしても最初にあれほど捜しても見つからなかったのはキツネにつままれたようであった。
 とにかく良かった。この杖は中国の大連のデカスロンの店で買ったフランス製である。思い出があるので、失いたくなかったのである。

ヒノキの人工林
ヒノキの人工林

最初の鉄塔
 しばらく登ると東電の高圧線の鉄塔がある。これが尾根上にあり、地図に合わせると標高375mくらいだ。あと35mくらい登れば尾根上に出る。すぐだ。

最初の東電の鉄塔

412mのピーク
 そしてしばらく登って412mのピークに出た。ここからの眺めが良い。この周辺は森林再生事業で枝打ちをしている。

412mのピークの表示
枝打ちの表示板
標高412mのピークからの眺め

二本目の鉄塔
 ここからは尾根上の平坦な道で、歩くのは楽だった。歩いているこの道は、関東ふれあいの道である。二本目の鉄塔が出て来た。これも地図で合わせると390mくらいだからピークから30mほど下ったことになり、楽な道だったはずだ。

2本目の東電の鉄塔
関東ふれあいの道の標識石
途中の道標

何人もの登山者とすれ違う
 私が登って行くと下って来る人に沢山会った。最初に会った人は10時半過ぎだった。朝6時頃軍畑駅を出発したとのことだった。朝は土砂降りでその中を歩いたので大変だったとのことだ。途中で雨は止み、今はすっかり晴れて良い天気になり、ほっとしたとのことだった。前に行った10人ほどのグループとすれ違ったか聞いたとこころ10分前くらいにすれ違ったとのことだった。往復で20分前くらいにいるのだなと思い、追いつくよう急いだ。
 それから一人、二人連れ、グループなど何人かの人とすれ違い、その都度前のグループがどれくらい前にいるか聞いて行ったが、いずれも10分~15分前くらいだということだった。いろいろ周りを見ながら歩いていたので、結局、惣岳山の頂上まで追いつけなかった。

分収林の看板
 分収林契約地があった。土地所有者が「青渭神社」で、管理者が(公財)東京都農林水産振興財団と書いてある。
 分収林とは、地主と造林者(造林と植林は同じような用語に思えるが、植林は植栽のみを示し、造林にはその後の除伐や間伐などの手入れも含む)で契約し、伐採した後に立木を売って得た収益を分配する森林のことである。
 だからここの森林は、神社の土地に財団が資金を出し、造林し、伐採時の立ち木の販売収入をあらかじめの契約に戻づいて分配する森林ということである。

分収林契約地の看板

 私は、林学を専門に習っているので分かるがが、最初にこの言葉を聞いた時に、分からない用語だなあと思ったものだ。分収林でなく収分林なら多少は分かり易いかなと思ったものである。英語をみると「profit sharing forest」である。「収入を分ける森林」という意味で、日本語よりずっと分かり易い。
 林学というのは、明治時代の初期にドイツ語から入った用語を訳し、それも難しい言葉として訳すのが学問として当たり前と思われていたのだろうから分かりにくい。「収入分配林」とか林学会が主導して、名前を変えたらどうかなとも思うが、一旦、定着した用語を変えるのは難しいのだろう。
 他にも林学用語は非常に難しいものが多い。例えば、「法正林」、「林分」、「森林施業」、「施業団」、「作業級」などと聞いても、どのような概念なのかすぐには分からないのではないかと思う。最後に書いた「施業団」と「作業級」がほぼ同じ概念を表すものと言ってもこの言葉からはさっぱりわからないのではないかと思う。「同一作業実施森林群」とでも訳せば言葉と内容が少しは分かるのではないかと思う。
 しかし、一旦概念が分かってしまえば、内容はそれほど難しいものではないと思う。

ところどころに設置されている案内板

追い抜っていた人
 しばらく歩いて行くと、後ろから遠くに聞こえていたクマよけの鈴の音が、段々と近づいてくる。そして中年の女性が私を追い抜いて行った。聞けば、登山口がわからず、慈恩寺の境内を通り抜ける道もわからず、その辺りをウロウロして1時間もロスしてしまったとのことである。きっと我々グループと同じくらいの時間に登り始めたのだろう。しばらく付いて行ったが、私よりペースが早く、付けば消耗が激しくなるので、マイペースで行くことにした。
 クマと言えば、今年はクマが町周辺に出没し、被害が多いとのことである。今年の冬のようにこんなに暖かくてはクマも冬眠もできないだろうし、ドングリの成りも良くなく、目を覚まし続けていればその分食料もいるので、町周辺に出没するのだろう。

所々に生育している巨木
 仲間が発見した大きなアカマツである。根がとぐろを巻いているように見える。
 谷間にあったスギである。胸高直径は1ⅿ近くあり、樹高は30m以上はあるだろう。

途中にあったアカマツの大木
惣岳山の下の谷間の大きなスギ

惣岳山の下の真名井神社
 惣岳山にかなり近づいたところで、皆からどこにいるのだというメールがあり、惣岳山の下の「青渭の井戸」にいると返信する。皆は惣岳山頂上にいて、昼飯を食べているという。「早く上がって来い。」というが、こここそが「青渭神社」の名前の発祥の地である「青渭の井戸」がある場所なので、「青渭の井戸」を拝み、しばらく眺めていた。「青渭の井戸」はこの谷間に出る湧水で「真名井」と呼ばれているそうで、神聖な水とされている。ここにある祠(ほこら)は真名井神社とのことである。
 また、この周りにも大きなものは、胸高直径1ⅿ程度、樹高は30m以上はあるスギの大木が沢山あり、壮観だった。

末社の真名井神社。「青渭の井戸」

惣岳山
 真名井神社のすぐ上が奥宮であり、惣岳山の頂上だった。ここで皆と合流した。30分遅れだった。途中で私の名前を3回も呼んでくれた方もいたが、残念ながら聞こえなかった。
 皆が昼飯をほとんど食べ終わるころだったので、私もコンビニで買ったおにぎりを食べようとしたところ、自家製ハムとチーズなどを持ってきてくれた方がそれを挟んだパンをくれ、とても美味しかった。その後に急いで自分の持ってきたものも食べた。
 下界は23℃と冬とは思えない暖かさだったが、頂上は風も少しあり、さすがに寒く、おそらく10℃くらいだったろう。Tシャツの私を見て、皆がすぐに何か着た方が良いというので、ウインドブレーカーを着込んだ。汗も引いてきて、着込んでちょうど良かった。
 惣岳山の頂上には青渭神社の社殿があり、そこには、弘化三年再建と書いてあるので、火災にあい、再建されたのだろう。因みに弘化三年は1846年なので、今から177年前のことである。この青渭神社は、平安時代の記録「延期式」に記載されている青渭(あおい)神社だそうだ。神域では昔から樹木が大切にされ、伐採が禁じられたので、今でも大木が残っているのであろう。

惣岳山頂
山頂の本社(奥宮)社殿
ここに弘化三年再建と書いてある

スギとヒノキの植林地
 ここから先もずっとスギとヒノキの植林地であったが、開けた場所にでた。また、ここも見渡す限りスギとヒノキの植林地であった。

スギとヒノキの植林地

滑りやすい岩場
 この辺りの岩場はとても滑りやすい。節理が見られ、火山岩でないので堆積岩で砂岩、泥岩、頁岩の類と思われる。昔は海の中にあり隆起したものだろう。ただ、チャートがところどころ貫入しているようだ。チャートは、珪質(二酸化ケイ素を多く含む)で細かい石英からなる硬い岩石で、乳白色であることが多く、放散虫や珪質海綿・珪藻などが深海底に集積してできたものと考えられている。いずれにせよこの辺りの山地は海底から隆起してできたのだ。

岩に節理がみられる
急な岩場
岩茸石山を望む
振り返り惣岳山を望む

岩茸石山の頂上
 13時20分くらいに岩茸石山の頂上に着いた。「岩茸石山」の名前の由来は、かつてこの山で採れた「イワタケ」というキノコにあるとのことだ。イワタケは、岩の上に生え、岩茸石山のような岩の多い山地に生息しているため、このキノコにちなんで「岩茸石山」と名付けられたとされている。
 イワタケ(岩茸・石茸、Umbilicaria esculenta)は、地衣類で、中国、朝鮮、日本の温帯に分布し山菜、生薬として利用するそうだが、食べたことがない。

岩茸山山頂

 岩茸石山の山頂には神社はなかったが、ここにある青謂神社は、惣岳山の青渭神社とは異なり、「延喜式」には「岩茸石山青謂神社」と記載されているとのことである。「青謂」と「青渭」の字が違う。

高水山に向かう
 岩茸石山の後に、高水山に向かったが、高水山に登ったのは私とあと2人、計3人だけだった。残りの7人は頂上を巻いて行く楽な道で行くという。「高水山に登りに来たのに何故高水山の頂上まで行かないの?まあ、それならそれでいいでしょう。高水山を下りたところで会いましょう。」と、3人で頂上へ向かった。私としては、今回の山行の目的地は高水山だったのに、この山頂に行かないわけにはいかない。他の人達は、レオさんに従って、何故いかないのか不思議であった。くたびれていたのだろうか?

高水山への道標

高水山頂上
 高水山山頂のやや手前には祠(ほこら)があった。この祠を過ぎたらすぐに山頂だった。山頂には何かあるというわけではなく、ここを下りるとすぐに常福院不動堂だった。皆とここで合流した。

高水山山頂直下にある祠
高水山山頂
高水山山頂

 皆と合流した後に、私はもう一度言った。「高水山にきて高水山に登らないのはもったいない、頂上はすぐそこだから行ってきた方が良いよ。」そうしたら数人が駆け出して頂上まで行ってきた。高水山を目標に登ってきたのだから、これで登った人は満足だろう。まあ、頂上まで行かなかった人は、特に頂上にこだわっているわけでもなく、冬の山の自然を歩いて楽しんでいるのだからそれはそれで良かったのであろう。

高水山頂上まで走って登る

常福院不動堂
 ここにあった常福院不動堂は、青渭神社とは異なるとのことだ。常福院不動堂は、真言宗豊山派の寺院で、高水山不動堂の本堂であったとされているとのことである。源平・鎌倉時代の有力な御家人である畠山重忠が、この地に深く帰依し、不動明王を祀ったもので、数度にわたる山火事のため焼失し、現在の不動堂は1822年に再建されたものとのことである。

常福院不動堂
同上
不動堂の前の狛犬。犬か狼か?

 不動堂前の左右に鎮座する狛犬は、和犬の石像に見える。どうみても犬だが、オオカミのような感じも受ける。オオカミが絶滅する前には、この辺りにはオオカミが沢山いたので、オオカミにも見えるようにも作ったのであろう。

軍畑(いくさばた)駅に向かって降りる
 常福院から軍畑駅に向かって降り始めたところは、緩やかな下りでモミジなどの葉が厚く積もり、ふかふかしてこれを踏みしめながら歩くのはとても気持ちが良かった。

常福院の下の道標
落ち葉を踏みしめて歩く

途中メンバーの一人を待つ
 半分のメンバーが先に降り、残りのメンバーが少し遅れており始めたが、その時後ろのグループの内の一人の女性が、先に行っててくれというので、先に降り始めた。しかし、参道と思われるが、歩きにくい階段状の道が続き、また、まだ午後2時半というのに、山道は薄暗くなってきた。一人で、後から追うのは良くないということで、しばらく歩いてからそのメンバーを待つことにした。止まったところで大声を張り上げると、そんなに遠くでなく声が返ってきたので、安心した。しばらく待ち、後発メンバーが一緒になり降り始めると先発メンバーも案外に近いところで待っていた。全員がまとまり、安心した。

急斜面が続く
 この後、ある程度平らになるところまで急斜面が続き、所々にある階段の段差がとても高い所もあり、膝が笑うようであった。

急斜面が続く

舗装道路手前の砂防ダム
 ようやく下りきったところに大きな砂防ダムがあった。平溝川砂防ダムだそうだ。
 東京都が平成4年から6年間を要し土砂災害から守るために設置した砂防ダムとのことだ。約30年前だ。この堰堤は、堤高19m、堤長32mと西多摩地域でも大きな構造とのことで、20,000㎥の貯砂量に対してまだかなり余裕があるように見えた。

貯砂量には余裕がある
19mの高さがある堰堤

スズメバチの巣
 堰堤に大きなスズメバチの巣が作られていた。オオスズメバチかキイロスズメバチの巣かわからなかったが、巣は一年しか使わないとされているので、再利用はないだろう。この巣からの危険はないだろうが、この周辺にはスズメバチが沢山いるだろうから来年の8月~9月くらいには活発に動くので、ここを歩くには注意が必要だろう。とはいえ、巣や蜂自体に刺激を与えなければ攻撃してくることはほとんどないので、刺激を与えなければ大丈夫だろう。私のことを言えば、キイロスズメバチとオオスズメバチと一回ずつ刺され、その他のハチには相当回刺されているので気をつけないといけない。

スズメバチの巣
下からみた堰堤
堰堤の下部にはヤマメの釣り堀もある

舗装道路を歩き軍畑駅へ
 ここから舗装道路を軍畑駅まで歩いた。山道から降りると舗装道路は歩きにくいものだと感じたものである。

舗装道路に降りた

軍畑駅には下山した沢山の人が電車を待っていた。16時20分の電車に乗り家路についた。 師走の冬とは思えない暖かい日で絶好の山歩き日だった。



つづく

令和6年能登半島地震への技術者派遣について

お知らせ

このたび石川県能登地方を震源とする令和6年能登半島地震により、
被災されました皆様に心からお見舞い申し上げます。

弊社が所属します「南信防災情報協議会」におきまして、
災害協定に基づき、
国土交通省中部地方整備局 天竜川上流河川事務所のTEC-FORCE(緊急災害対策派遣隊)に、
技術者3名を派遣することととなりました。

このうち弊社から2名の技術者がUAVなどの機材を携えて、
被災状況の把握など行うべく被災地へ派遣されまた。

災害支援にあたられる皆様が、安全に、また体調に気を付けて作業にあたられることを願うとともに、
われわれの持つ技術や知識が、いち早い被災地の復興に寄与できればと思っております。




1月の駒ケ岳

社窓

新年にあたり、ご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
本年もよろしくお願いいたします。

令和6年1月1日に発生した石川県能登地方を震源とする令和6年能登半島地震により
被災されました皆様に心からお見舞い申し上げます。
皆様の安全と、一刻も早い復旧、復興を心よりお祈り申し上げます。
また、被災地にて活動される皆様におかれましては、
どうぞご自愛のうえご尽力いただきたく思います。

2024年1月の駒ケ岳

2024年1月の南アルプス

土木学会全国大会での学術講演

ゼンシンの日々

 技術の向上を目指し、土木学会の全国大会(第78回年次学術講演会)で、当社の技術部長 中島が「堤防点検の小型・軽量MMSの適用の可能性」と題して発表しました。

 本年、平成5年9月14日、広島市の広島工業大学にて、維持・補修・保全に係る部門で発表しました。論文作成にあたっては、国土交通省 天竜川上流河川事務所管理課の皆様のご指導の下に実施しています。

 内容は、河川維持管理のDX推進に向けて試行した取組みで、土堤防の寺勾配や空石張護岸のはらみ化等の堤防変状を小型で軽量なMMSで把握し、その有効性を報告したもので、今後の活用の可能性を示しました。

日 時:令和5年9月14日~15日の2日間
場 所:広島大学、広島工業大学(広島市)
発表者:管理技術者(株)ゼンシン 中島一郎
執筆者:天上:前管理課 隅田課長、元永係長、矢澤技官
   (株)ゼンシン:中島、清水、森村、境澤、原田


次の写真は、会場となった広島工業大学と発表の風景です。
今後も、このような機会を捉え、継続した技術の研鑽に努めて参ります。

便利アイテム

ゼンシンの日々

当社のランチは基本的に各個人のお弁当です。

私はお弁当がない時の方が多く、外に食べに行くことが多いです。

でも最近は、子供が高校生となり、お弁当を作ってくれることが増えました。

そこで、お弁当作りを少しでも簡単に済ませるため、某家具量販店でこんなものを買いました。

電子レンジでゆで卵ができるアイテム!!

卵3っつと水をいれてレンジで7分、余熱で7分、ゆで卵の完成。

お弁当の時は芯まで熱を通しますが、すぐ食べるときは、こんな感じ。

余熱3分くらい! 黄身がトロトロ半熟卵!! 余熱で加減ができる優れもの。

ここに、会社から頂いた。

ねぎだれをON!!

ぱくっ

うっ・・・・・

うまーベラス!!!      (うまいの最上級)  個人の感想ですが・・・

でも、最近卵高くないっすか・・・

お弁当の話からだいぶ脱線してますが気にせず。

卵大好きな自分は、

オムレツも作る。(ちょっと形が悪いですが・・・)

ではまた。

12月の駒ケ岳

社窓
2023年12月の駒ケ岳

いよいよ師走。
毎年、この時期になると1年早いなーと思ってしまします。
様々なメディアでも今年の総括がされていきています。

毎年話題となる「新語・流行語大賞」。
近年は知っているもの、知らないもの、はたまた流行”語”?というものもあったり・・・。
以前は、テレビからの流行語が中心だったものが、
インターネット媒体、SNS、動画サイトなど発信元が多様となっていることで、
世代や興味により、認知に差が出るようになったのかと思っています。
それとも単に年齢のせいなのか・・・。

ということで、恒例となってきました、「今年の漢字」の予想

増:物価高騰などによる出費の増。税負担などの増。コロナ5類移行による外出などの増。
高:物価高騰。円高。夏の猛暑による気温の上昇
金:物価、税、政治と金の問題。WBC優勝=金(無理やり)(←2024ノミネートの可能性大)

皆さんはいかがでしょうか。

2023年12月の南アルプス

[増井 博明 森林紀行 番外編 地域探訪の小さな旅]No.10 金毘羅山~御岳山

森林紀行

秋の山歩き
 2023年10月28日(土)に、奥多摩の金毘羅山を目的に登った。物足りなかったので、その奥の日出山、御岳山まで登り、御岳駅に降りた。

金毘羅山
 奥多摩の金比羅山は、東京都西多摩郡日の出町にある標高468mの山である。山頂付近には金比羅公園展望台があり、武蔵五日市の街並みや奥多摩の山々を眺めることができる。山頂の南側には琴平神社があり、その奥には「金比羅山の天狗岩」と呼ばれる大岩がある。金比羅山には、武蔵五日市駅から徒歩で登ることができ、そこから御岳山や日の出山などを縦走するコースもある。今回はこの縦走コースを歩いた。

武蔵五日市駅から御岳山駅へ

家を出発
 朝、家を出発する時になり、空では雷がやたらとなり始めた。上空で暖気に寒気が入り始めたのだ。近くには雨雲はないが、遠くに暗雲が不気味に見える。先月に続いて、また雨かと思ったが、天気予防では午前中は晴れ、午後3時くらいから雷の鳴る恐れがあるとのことだったので、いつものように楽観的に大丈夫だろうと出発することにした。ただし、念のために折り畳み傘に加えゴアテックスの雨具も持っていくことにした。ところが今回は杖を忘れてしまった。杖は登り始めてすぐに山中で杖に適したスギの枝を拾い、適当な長さに切って使っていたので、杖は特には、いらなかった。駅近くのコンビニでおにぎりを買ったらペットボトルのお茶をくれたので、その分リックが重くなった。

集合
 集合は武蔵五日市駅9時25分だった。時間通りに着いた。すっかり晴れて秋の行楽日和となった。

武蔵五日市駅に着く直前の電車の中からの景色

 多くのメンバーが集まると思ったが、集まったのはいつものリーダーのフランス人のレオさんと、あとは日本人の女性が4人と私を加え計6名だった。日本の女性はフランス人と結婚したり、フランス語圏に長く住んでいたりしてフランス語が堪能な方ばかりだ。

武蔵五日市駅

はっきりしない行先
 レオさんに武蔵五日市から金毘羅山に登ってから、どこに向かいどこに降りるのか聞くと、「決めてない。適当、その時の気分次第。」とまたいいかげんな返事。前回のメンバーバラバラ、道迷い登山のこともあり、行程はきちんと決めておくべきだが、こりていない。
 この質問で気分を害したようで、あまり突っ込むことはしなかった。同じスタイルを貫くフランス人らしい頑固さがでていると思った。私はきっと途中で、皆とは分かれて歩くことになるだろうと思った。そして天気も良くなったので、私は、金毘羅山に登ったら、皆が付いてこなくとも一人で、その奥の日出山と御岳山を登り、御岳山からケーブルで降りようと思っていた。

登り口に向かう
 武蔵五日市駅から金毘羅山の登り口に向かって舗装道路を歩く。大通りの北にある車の通行量の少ない細い道を行く。しばらく歩くと登り口に近い所に五日市会館と五日市中学校があり、その間の道を歩く。会館ではあきる野市の文化祭を催していた。

あきる野市五日市会館
あきる野市立五日市中学校

秋の東京の田舎の景色
 秋の東京の田舎の景色も良いものである。都心と違って大きな庭がある家も多く、柿の木やいろいろな樹木が植わっていて、松や真木などよく手入れがされている家も多い。しばらく歩くと鳥獣保護区となる。

鳥獣保護区の看板
登り口付近の道標。金毘羅山、日出山、御岳山へ
クマザサ
登り口の神社
ヤマザクラ
山道を登り始める

上層の優占種
 この周辺の自然林の上層の優占種は、コナラとヤマザクサである。前回行った神奈川県と山梨県の県境と同様である。

おチビちゃんとお父さん
 登り始めて、間もなく小さな女の子と男の子を連れたお父さんを追い抜いた。後で聞いたところでは女の子が8才、男の子が5才ということだった。このかわいいおチビちゃん達が御岳山まで頑張って一人で歩くのだった。

大きなモミの木
金毘羅と書かれた石像

金毘羅の石像
 登山道沿いに、小さな石像が沢山あった。これには金毘羅と書かれていた。金毘羅とは、インドのガンジス川に住むワニを神格化した仏教の守護神で、航海や漁業の守り神とのことである。香川県の金刀比羅宮を中心に全国には約六百もの金毘羅神社があるとのことである。
 武蔵五日市の金毘羅神社は、江戸時代に建立されたもので、金刀比羅宮の分霊を勧請(かんじょう:仏教や神道において、神仏の来臨や神託を請い願い、神仏の分身や分霊を他の地に移して祭ること)したと言われているとのことである。

シラキ

シラキ
 この辺りにはシラキの木も沢山あった。シラキはトウダイグサ科で、日本以外には中国や朝鮮半島に分布し、樹高は8-9mに達する。学名はNeoshirakia japonicaで、Neoshirakiaはシラキ属を表し、japonicaは日本産のという意味である。英名はjapanese tarrow treeで、tarrowはトウダイグサの一種を指す言葉だそうだ。

テイカカズラ
 写真の長い実はテイカカズラの実である。長さ20㎝くらいの鞘を垂らしている。マングローブのリゾフォーラ(八重山ヒルギ)の長い種子に似ている。しかし、テイカカズラはこの長い袋の中に種子が約10~20個ほど入っていて、白く長い綿毛が付いていて風に乗って遠くまで飛ばし増えていく。藤原定家が慕った式子内親王の塚に生えたことからテイカカズラと名付けられたとのことである。

テイカカズラの実

 学名は Trachelospermum asiaticum。ギリシャ語の trachelos(首)と sperma(種子)に由来し、長い鞘に入った種子の形を表し、英名は Yellow star jasmine、黄色く星形のジャスミンに似た花を咲かせることに由来している。
 また、面白いことにテイカカズラは気根を出すのである。テイカカズラの気根は、他の物体に付着して植物体を支える働きをしているとのことである。
 マングローブのほんとんどの樹種には気根があるが、これらの機能とは異なっている。マングローブは、水中や泥の中で酸素が不足する環境に適応するために、空気中から酸素を取り入れているのである。

テイカカズラの葉

琴平神社の手前の見晴らし台から
 遠くあきる野市の町が望め、見晴らし台の下にはガマズミの実が見えたり、ツバキが沢山あった。琴平神社はこの上にあり、着いたのは、10時40分だった。武蔵五日市駅から約1時間だった。

見晴らし台から武蔵五日市方面を望む
ガマズミの実
ツバキの花
琴平神社
琴平神社の鳥居

仲間の韓国人男性が合流
 ここから金毘羅さんの頂上まではすぐであったが、途中で反対方向から来た、若い男性に出会った。「だれだれさんをご存じですか?今日金毘羅山に登るという連絡が来たので、別ルートをたどり、ここまで来ました。」と言う。そのだれだれさんと言う方が、我々の山仲間だったので、「では、御一緒に行きましょう。」とその彼が仲間に加わった。この方は、数年で日本語も完璧にマスターし、大変に優秀そうなので、何をしているのか聞くと東京大学の大学院に留学し、政治学を学んでいるとのことだった。有名な教授のもとで学んでおり、勉強が大変そうに思えた。

金毘羅山へ
 金毘羅山の頂上はまもなくだった。ただし、道がわかりにくく、登山コースからわずかに右に入ったところだった。分かりにくい道標があり、私はほんのすぐそばが頂上と分かった。樹木に覆われ頂上があるとも思えないような所である。
 皆に道を右に上がり金毘羅山の頂上へ行こうと言ったのに、どうしたことかレオさんが、「真っすぐいきましょう。」という。「えっ。何?金毘羅山に登りに来て、金毘羅山の頂上に行かないはないでしょう?」と私。レオさんは真っすぐいってしまい、一人の女性を除いて皆付いて行ってしまった。
 一人の女性だけが、駆け足で金毘羅山の頂上まで行き、すぐに元の道を戻り、レオさんを追って走って行った。私は一人でゆっくりと金毘羅山の頂上を味わった。平坦で樹木に囲まれていて、とても頂上とは言えないような頂上であった。金毘羅山の頂上からは皆の行った方向に道があったので、私はそちらの道を下り、皆を追うことにした。しかし、一人になってしまったので、ゆっくりと回りの植物や生き物を観察しながら行くことにした。

徒然草の教訓
 まるで徒然草の仁和寺参りのようなことが、起こるとは。しかし、よくある話であろう。レオさんも私が朝、行先を聞いてはっきりしない返事をしたことにシコリを持っていて、私の言うことは聞きたくなかったのであろう。ここでもフランス人の頑固さを感じた。
 徒然草の52段の仁和寺参りの話は、仁和寺にいる僧が石清水八幡宮に参拝しに行く話である。僧は山のふもとの極楽寺や高良社だけを見て、本殿が山の上にあることに気づかずに帰ってしまう。その後、仁和寺に戻って同僚に自慢するという滑稽な話である。兼好法師は、ちょっとしたことでも気を付けてみたり、人の意見を聞いたり、案内役が必要だといっている。

金毘羅山頂上
途中にあった小さな池

 金毘羅山の頂上からしばらく傾斜が緩い道を歩いていくと小さな作った池がある。鯉でも養殖しているのかなと思ったが。この道沿いは様々な花が咲いていた。

ヤマゼリ(山芹)
オニタビラコ(鬼田平子)
ヨメナ(嫁菜)
ムカゴ(零余子、珠芽)
シラヤマギク(白山菊)
植林地

植林地
 しばらく歩くと伐採の後、植林された開けた場所がある。植林団体は「森林認証促進協議会」である。また、その反対側は森林再生間伐事業で間伐された森林である。

間伐の看板
チョウセンゴミシの実(朝鮮五味子)
植林地が終り再び山に入る

散歩の人に追い抜かれる
 この後も傾斜の少ない、歩きやすい道が続いていた。そこで追い抜かれた人とひとしきり話す。地元あきる野市の人で、ほとんど数日おきにこのあたりを散歩しているとのこと。散歩なので荷物も持っていなく、かなりの速足だ。前期高齢者になってしばらく経っているとのことだったが、非常に元気そうに見える。自慢そうに66才というので、私は73才だと言ったらびっくりしていた。

タヌキのため糞
同上

タヌキのため糞
 しばらく歩くとタヌキのため糞が道の上にあった。手前に親指大の糞粒がいくつも見え、この時期大好きなギンナンの実を沢山食べているのでタヌキの糞とわかる。
今年はツキノワグマの被害が多いので、皆クマではないかと心配していたが、ツキノワグマの糞は、食べたものによって色や形が変わり、握りこぶし以上の大きさで、食べたものをそのまますりつぶしたような状態だから、この糞とは違う。ドングリを食べれば黄土色、リンゴを食べれば、リンゴの香りがするなど、食べ物の特徴がわかりやすく残るとのことである。ツキノワグマの糞は臭くなく、食べたものそのままの匂いがするとのこと。
 タヌキの糞は、タメフンでフンを一か所に溜めていくことで、タヌキの縄張りや家族の存在を示す行動とのこと。タヌキの糞は、ころころと転がり、匂いはとても臭い。実際ここにあった糞はとても嫌な臭いが強くタヌキの糞だった。

ヤマザクラ

皆に追いつく
 しばらく歩くと皆が昼飯を食べているところに追いついた。そして私も加わり、昼飯を食べた。さっき追い抜いて行った66才の方が73才の方が一人で歩いていたからまもなくここへ来るだろうと伝えてくれたそうだ。

また、皆と別れる
 昼飯を終わり、日出山方面に向かって歩き始めてしばらくして、レオさんが突如、ここから今まで歩いてきた道を引き返そうと言う。なぜかわからなかったが、前のしこりが残っているのだろうか。レオさんの気まぐれにはまいる。私はなぜか同じ道を引き返すのは、撤退するような気がして前に進みたかった。そこで、「私は、引き返す気がないので、日出山から御岳山まで行く。」と言った。皆はレオさんに従って同じ道を引き返していった。皆さんは、帰りも金毘羅山に登ることはなく、帰ったとのことなので、徒然草に書かれているように、何と残念なことをしたのだろうと思った。

日出山へ
 一人日出山へ向かう。皆と別れたのは12時40分くらいだった。御岳山まではだいたい3時間くらいかかるだろうから16時前には御岳山に着くだろうと予想した。できれば15時半くらいに着ければ良いと思った。そうすれば余裕を持って帰れる。
 ここからはすれ違う人が少なくなったが、日出山までの間に約10人ほど出会った。単独行か二人連れだった。しばらくして出会った人がランニング登山をしており、御岳山からどれくらいかかったか聞いたところ1時間2分だとのことだった。そこから私は約3時間で御岳山に着いたので、私の歩くスピードの3倍という速さだ。
 皆と別れてから13時半くらいになると雷が遠くでゴロゴロと音を立てているのが盛んに聞こえてきて、気が気ではなく、歩くスピードを少し速めた。雷に巻き込まれたらやばいなと思っていた。途中麻生山への分岐があったが、麻生山は登らずに下の巻道を巻いて行った。2時半頃になってくると、逆に晴れ間がでてきて雷は遠ざかっているようでラッキーだった。

雷雲が去り、晴れ間も見えてきた
途中の道標
下界を望む

日出山とつるつる温泉の分岐
 日出山とつるつる温泉の分岐に近づくにつれて、沢山の人々の声が聞こえてくる。ここには日出山から下ってくる人が沢山いるようだ。幸い空も晴れて、雷も遠ざかったようだ。晴れてきて、ここまでくれば途中で暗くなっても御岳山のケーブルカーの駅までは楽に行ける。

日出山とつるつる温泉の分岐

日出山
 日出山の頂上へは、頂上の下に着いて、もうすぐ上が頂上だと思ってから最後の登りが10分くらいかかり、案外にきつかった。頂上には15時少し前に着いた。御岳山から来る人が多く、かなりの人がいた。ここは以前に何回か登ったことがある頂上だ。
 ここでも最初に一緒だった小さな子供さんを歩かせていた親子と一緒だった。

日出山頂上902m
日出山頂上

御岳山へ
 日出山から御岳山に向かった。この間は緩やかなアップダウンで楽な歩きだった。この間もおチビさん達と抜きつ抜かれつであった。この間、約1時間ほどかかり、時刻が15時半くらいになるとかなり暗くなってきた。それでも御岳山から日出山に向かてくる人と沢山出会ったのは驚いた。この時、御岳山天空紅葉祭りというのをやっており、御岳山に泊まれば、遅くとも大丈夫だろうと思った。あるいはケーブルカーの最終は18時30分で余裕があるから大丈夫だったのであろう。
 御岳山への参道沿いには沢山の旅館があり、にぎわっていたので、また、御岳山には何回も登っているので、登らずにケーブルの駅に向かった。

御岳山の下の神代ケヤキの石柱
御岳の神代ケヤキの看板

ケーブルカーの駅から御岳駅へ
 御岳のケーブルカーの駅にはちょうど16時に着いた。次のケーブルカーは御岳発16時10分だった。降りたらバスが16時22分にあり、御岳駅には16時半に着いた。

帰宅
 御岳駅にバスが着いたとたんに雨が降り始め、私は、16時41分発の電車に乗れ、かなり強く降り始めたが濡れることはなかった。また最寄り駅に着いたときには雨は止んでいて、全く濡れずにラッキーだった。3万歩以上歩いたが、ほとんど疲れは感じなかった。
 他のメンバーも同じ道を帰り、無事武蔵五日市駅に着き、地ビールを飲んで帰ったそうである。


つづく


ジャルディナッジョ〔秋・冬~春〕

ゼンシンの日々

『冬はつとめて 雪の降りたるは言うべきにもあらず 霜のいと白きも・・・』 “枕草子”の境地には、どうにもなれそうにありません。

 11月下旬をむかえ寒さが増す中、我が家では10月下旬から「秋・冬の花」を買い揃え始め「夏の草花」との入れ替えが進んでいます。例年と大きく変わることのない 定番ラインナップが、冬を彩りつつも半年先の春をイメージしてコレクションされてきました。一部ですが適当にご覧下さい。

ガンバって咲く 夏の花々

 夏の草花は徐々に消え、11月でも軒下で4ポットほどが頑張って咲いています。花数は減り、蕾も開くか不明ですが、気温が下がり花色は鮮やかさが増しています。

ペチュニア:モンローウォーク (グラデーションの花色と色変わり、花付きの良さにひかれます。

ペチュニア:ベルファージ (壮健ですが暴れ気味で形が乱れます。蕾が開くか?)

ペチュニア:ジュリエット (ほっておいたので大暴れ)

カリブラコア:プチホイップ (花数は激減してますが、花色は良くなってます。)

秋・冬コレクション 第 1 弾                  

初回の購入は、予算オーバーと置き場所に悩まないように控えめに! 芳香の高い“ネメシア”を主軸に揃えました。

ネメシアメーテル:エレーヌ / ターメッリク  / サーモンピンク / アンナ

秋・冬コレクション 第 2 弾

11月に入ると、店頭はパンジー・ビオラ、etc・・・と賑わってきました。別用のついでに買ったポットの一部は、ラベル付きのまま植木鉢の根元にほったらかし。(ワイヤープランツ、ヒューケラ、アリッサム、ガーデンシクラメン、ビオラかな?しばらく放置されています)

ビオラ:ミルフル / エッグタルト / 空飛ぶうさぎ / ミルフル・アンティークフリル / パステルローズ
パンジー:シエルブリエ   プリムラ:ジュリアン

ルート361

ゼンシンの日々

 晩秋間近の国道361号を“飛騨高山”目指して走ります。弾丸ツアーですが...そうは言ってもそれなりに・・・

九 蔵 峠                                      

 県道20号経由で「九蔵峠」を迂回しようとも思いましたが、往路は峠越えで走ります。

 九蔵峠ピーク付近の「御嶽山ビューポイント」から。付近には数台の車が停車しています。

 紅葉は色褪せて来ていますが、好日の御岳山は眺望は壮観で、山頂の冠雪が冬の訪れを感じます。

権現トンネル                                      

 高山市に入り目的地までおよそ30kmと迫った“飛騨ぶり街道”のトンネルの一つです。

 ルート内では珍しくナトリウムランプが使われ、オレンジ色とも濃黄色とも見えるの創る曲面壁の縞模様が面白いと伴に眠気にも誘われます。

日下部民藝館(くさかべみんげいかん)                         

 多くのインバウンドで賑わう街中を横目に、「日下部民藝館」にようやく到着です。

 日下部家は、幕府御用商人として栄えた商家でした。建物焼失後の明治12年に江戸時代の建築様式そのままの建物を造り上げ、昭和41年に国の重要文化財に指定されました。以降、民芸館として一般公開されています。

 今宵、ここで開演される 落合陽一 演出・《帰納する音楽会》サテライト公演 in TAKAYAMA   の鑑賞が今日の目的です。演奏者は畳敷きの「台所」で演奏し、聴衆は「ろじ」と呼ばれる土間と「おいえ」と呼ばれる座敷で鑑賞します。聴衆の真後ろに演出スタッフがおります。

 入場者は、ざっとですが130人位でしょうか。

 プログラムは、琉球古典音楽と日本フィル弦楽四重奏の演奏、両者のコラボ演奏の三部構成です。

 未だ経験のない、空間と距離での鑑賞が新鮮でした。

(スタッフ席から解説する落合陽一氏)

 琉球古典音楽と日本フィルのコラボ演奏で終演です。

(演奏者と落合氏の挨拶の様子)

 落合陽一氏の事は “落合信彦氏のご子息”という意識の方が勝っています。父親の信彦氏の著書を学生時代から濫読していた事があったためでしょう。

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