冬の足音
火山島であり、透水性の極めて低い溶岩層の上に堆積した火山灰が豪雨により崩壊、土石流として流下し生じた災害です。
難透水層と火山灰(ローム)層が引き起こした土砂災害といえば、平成18年に岡谷市で発生した土石流災害と共通するものです。
災害を引き起こす要因(降雨強度)や素因(地質や土壌)は自然条件であり変え難いことですが、森林整備であったり治山施設の整備、砂防施設の整備等を通じて災害に強い郷土とすることは可能であると思います(書いているものの専門が森林土木ですので治山が先に来ていますが、深い意味はありません)。
さて、タイトルと写真ですが、先日業務で白馬村へ行った際の様子です。初冠雪はすでに済んでいましたが、雨と冷え込みで北アルプスの稜線は雪化粧となりました。
さぶかったり、暑かったり、安定しない日々ですが、冬は着々と近づいているようです。
hsd
【森林紀行No.1 15/18】「交通事故の対処」
交通事故の状況
1985年8月13日(火)、この日8時にMAGへ行って署長に話しを聞くが、キトーに電話したところ、キトーの本部では何も知らないということである。署長は本来コカに居るべき者が、コカ以外で重大事故を起こしたことを心配している。
事故を起こし、使い物にならなくなった車
Y君が確かなことをつかんだらすぐに関係者に連絡するとするが、万一死亡事故の場合には、すぐにキトーに戻り、MAG、大使館、東京(JICA、JAFTA)に連絡するという体制を取った。
こういった事故が起きた原因を考えてみると、道路が石油を取った後の残りカスを敷いたものでアスファルトではなく、雨が降ると非常にすべり易くなり、スピードの出し過ぎは危ない。それにカウンターパートの現場の親分であるモリーナはMAGの車なので、運転手がいても自分で運転したがり、また運転している時は横を向いてしゃべりながら運転する悪いくせがある。実際には事故を起こしたのはMAGの運転手であって、モリーナではなかったことは後でわかった。
しかし、何とか事故を避けれなかったかと思うと避けることができたような気がしてならない。幸い我々日本人4人は、全員コカに残っていたから事故に会わず、よかったようなものの、彼らを強引に引き止めるべきであった。しかし、今回は相当強力なリーダーがいても引き留められなかったであろう。ラゴ・アグリオに家を持っているカウンターパートや作業員は家を見に行く必要があったので、だから少なくともそれ以外の者は引き留めるべきであった。
午後3時過ぎにY君達が、打ち身だけで済んだモリーナとメディナを連れて帰ってきた。それによると全員無事であるとのことでホッとした。
事故車に乗っていたのは6人で、
1.モリーナは多少の打撲で元気。すぐ治りそうとのこと。ここにいる。
2.モリーナの二号さんは、みけんを切り、25針縫う大怪我だった。当分安静が必要だが、元気。
3.二号さんの子供は10才くらいで、全身打撲だが元気で、すぐに治りそう。
4.ルナは頭と顔を激しく打撲したが、意識ははっきりしている。しかし、当分安静が必要。
5.メディーナは、全身打撲だが元気で、すぐに治りそう。ここにいる。
6.運転手はどこかを怪我しているはずだが、捕まるのが怖くて逃亡してしまった。
とのことで、ルナとモリーナの二号さんが当分のあいだ安静が必要とのことで寝ているとのことだった。
事故の起きた状況は次のようなことだった。時速40kmくらいでラゴ・アグリオからコカへ向かって走っている途中、テキサコの基地があるサンチェスというあたりで自転車をよけようとしたら、折からの雨でスリップし、路肩へ落ち、パイプラインに衝突、車が一回転した。ルナとモリーナの二号さんが完全に失神。全員がかなりの打撲で、一時的に全員気を失ったとのこと。
ルナは特に頭が床と座席の間に入って挟まれてしまった。モリーナはコカへ誰にも秘密で二号さんとその子供をラゴ・アグリオに呼んでいた。サンチェスのテキサコの施設からすぐにセスナでラゴ・アグリオに運ばれ、ラゴ・アグリオの病院で二号さんはすぐに25針も縫ったということだった。
一旦ラゴ・アグリオに引き上げる
モリーナとメディナは、全員ショックを受けているので、一旦ラゴ・アグリオに引き上げて、全員を落ち着かせてから仕事を再開しようと言う。Wさんはせっかく、いい木があるところを見つけたので、1班だけでも残って仕事を続けようと主張するが、私は日航機事故を聞いたことやアロンソの指きり事件もあり、この交通事故では完全に気が疲れたので、このような時に山へ入るのはもっと危険であると判断し、一旦ラゴ・アグリオに引き上げるように主張し、Wさんもそれに納得したので、一旦ラゴ・アグリオに引き上げることにした。
すぐに全員荷物を片付けた。渡し船の最終時間が午後4時半なので、あと30分しかない。ホテル代や作業員への賃金などを大急ぎで支払い、なんとか最終の渡し船に間に会った。
はしけによる渡し場
事故証明を取る
サンチェスを通るときにモリーナが頼んでいた事故証明を警察に取りに行くという。MAGへの報告や保険で当然必要である。警官と言ってもサッカーパンツのみで上半身は裸のあんちゃん風である。事故証明は当然のごとくできていない。仕方がないので、モリーナが学校へ行き、自分でタイプを打って、警官にサインとスタンプを押させる。1時間以上もかかった。しかし、1時間程度でできるなんて信じられないくらい早い。やればできるのだが、ここでは警官も本当に必要になるまでやらないのだ。しかし、モリーナもやるじゃんと思った。
夜道を歩く
ラゴ・アグリオの手前の渡し船の最終は午後7時半。結局まにあわなかった。仕方がないので、車をそこに預け、カヌーで人と荷物のみが渡る。渡ったはいいが、対岸にタクシーがあるわけではない。真っ暗な夜道を重い荷物を担いで、約5kmも歩かなければならない。動物や人間、危険なものが一杯である。
とぼとぼと歩きだすと約1kmほど歩いたところで、止まっていたトラックがあり、それに頼んでラゴ・アグリオまで載せてもらい助かった。
ホテルで遅い夕飯を食べたあと、ルナを見舞いに行く。かなりの重体に見えた。しかし、何とかしゃべれる。もともと体が細く、弱々しく見えていたので、やせてなおさら弱々しく見える。
モリーナの二号さんもみけんを十字に縫ったあとが痛々しい。彼女は健気にも「いい土産話ができた」と笑って言ったが。
道路に出てきたアリクイ。走っているので焦点があわなかった。
事故報告とその後
1985年8月14日(水)
大使館に事故の報告
我々は、カウンターパートが事故が起きたことを大使館に報告した。
昨晩キトーにいる仲間のNさんに電話をしたが通じなかった。この日も電気がないということで、昼までは電話ができなかった。午後2時になりようやく電話が開通した。
大使館の担当書記官に電話局から電話をするが1時間以上も待たなくてはならなかった。順番待ちである。ラゴ・アグリオからは電話回線がキトーへ2本、コカからは1本しかなかったのである。
「カウンターパートが交通事故を起こし、エクアドル側のカウンターパート3名が怪我をし、1人が重体であるが、命には別状ない。日本人は誰も乗っていなかったので、無事である。仕事は予定通り進める。」と伝えた。
カウンターパートに事故があったが無事だったということと、我々が事故には巻き込まれなかったということで、大使館ではあまり重要なこととは思われなかった。危機管理というか安全対策などで、何らかの指示があるであろうと予想していたが、何のおとがめも無かった。
この当時の電話といったら無線で繋いでいるので、アマゾンからアンデスの山の上へかけているからか雑音がものすごく、良く聞きとれない。それで大使館も良く事情がわからず、とりあえず無事だからあまりたいしたことはないと思われたのだろう。
大声でしゃべらなければならないので、そこで待っている地元民が日本語など聞いたことがないものだから何事が起きたのかと不思議そうな目でこちらを見ている。
ラゴ・アグリオの町の中の市場
衰弱していたルナ
さて、今のところ全員元気で、ルナ一人が心配であるが、歩けるようにもなり、どこも骨も折れていない。しかし、明日か明後日キトーの病院へ送りたいと思った。しかし、ラゴ・アグリオ空港の滑走路の拡張工事が進んでおらず、TAME(軍の飛行機)とテキサコの便が少なく金曜日と土曜日は既に満員である。あとは体力の回復を待つだけなので、結局家で静養してもらうことになった。いざというときには、本当に陸の孤島というところである。
朝礼
それから私は、毎朝出発前に朝礼をして、訓示をすることにした。「木を倒す時は気をつけろ。木の下敷きになったり、根に跳ね飛ばされないように遠くに離れていろ。交通事故には気をつけろ。スピードは出すな。」と口を酸っぱくして毎日同じことを繰り返し訓示した。
森の中の入植者の家。コーヒーを栽培している。
金曜日の朝は「皆今週の疲れがたまっているようだから、特に気を入れて行え。土日は休みとする。だから今日は頑張れ。しかし、事故には気をつけろ。特にチェンソーマンは油断するな。運転手は、交通事故には気をつけろ。スピードはだすな。」と繰り返した。
道路開設の最先端で障害物となる大木を伐採していた黒人
「77777」
先日、会社からの帰宅途中に愛車(軽トラ)の走行距離が「77777km」を達成したので、記念に一枚撮影してみました。
新車で購入して9年以上経ち、あちこち錆びがでてきましたがこれまで大きな故障もなく(峠で鹿と激突して小破したことはあったけど)、通勤の脚・農作業にと、まだまだ元気に活躍してくれています。
ディーラーの担当者からは「そそそろどうですか」と点検・車検のたびに言われますが、先立つものもないのであと数年はこいつと仲良くしていこうと思ってます。
たぶん来年には「88888」を達成できると思うので、その時はまた記念撮影かな。
myst
10月の駒ヶ岳
10月の駒ヶ岳
目に見える形で秋がやってきました!!
中央アルプスも山頂から一気に紅葉がすすみました。
秋というと、「食欲の秋」 「スポーツの秋」 「読書の秋」 などと言われます。
「食欲の秋」は、
・実りの秋といわれるように、様々な食べ物が収穫を迎える時期である。
・暑い夏が過ぎ涼しくなってきたことで、食欲が増進する。
・寒い冬を前に体に栄養分を蓄えようとする本能的な性質がある。 など
「スポーツの秋」は、
東京オリンピックが1964年(昭和39年)の10月10日から開催され、10月10日を体育の日と制定したことから。
「読書の秋」は、
唐の詩人・韓愈の詩の中で「燈火稍く親しむ可く」という一節があり、
「秋になると涼しくなり、秋の夜長は明かりをつけての読書に適している」ということ意味していたことから。
これらは一説であり、諸説あるようですが・・・・・
他にも 「芸術の秋」 「行楽の秋」 など言いますね。
楽しみ一杯の秋です(^_^)v
[南アルプス]
【森林紀行No.1 14/18】「交通事故」
交通事故
不思議なもので、悪いことは重なるものである。1985年8月12日に日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落したが、そのニュースを短波ラジオジャパンで聞いた日に、ここでもラゴ・アグリオに帰ったカウンターパートが交通事故を起こし、その日に残っていて仕事に行った別のカウンターパートが指を切ってしまった。これは私にとっても重大な危機管理能力不足だったので日を追って順に述べる。
いつも食べていたコカの町の食堂
カウンターパートとのせめぎあい
1985年8月9日(金)
いつも朝が遅いカウンターパート
この日は、コカから約40km先のゲレイロという名前の人の所有している森林を調査した。
前日の木曜日には「明日は朝7時に出発して午後1時までには仕事を終わらせてから、弁当を食べ、早く帰ろう。」とモリーナ達エクアドルの技術者と作業員は、共々言っていた。何故彼らがそう言うのか、頭が働かなかったのであるが、彼らはラゴ・アグリオに帰りたかったのである。
朝の出発は毎朝7時と決めていたのだが、モリーナは、いつも遅く8時過ぎになってしまうのであった。他のカウンターパートはちゃんとしているのだが、親分のモリーナがいつも遅いのであった。彼は7時には出発すると言いつつどうしても出発できないのであった。我々はいつも7時にMAGの事務所に行っていた。
彼らが木曜日に「明日は必ず朝7時に出発する。」と言うので、8月9日(金)は我々はいつもの通り、朝6時に起き朝食後、7時にコカのMAGの事務所に行きカウンターパートを待っていた。
しかし、彼らが出発準備ができたのは、やはり8時過ぎで、出発したのは8時半であった。
また、この日は一番良く働く、チェンソーマンのパスクワルが来ていないので、どうしたのかと思った。彼は先住民だからだろうか、とても真面目で、いつもは7時には来ていて、チェーンソーの手入れや、他の道具を車に乗せたり、こまごまと働くのであった。彼の息子も作業員として雇っていたので、「パスクワルは今日はどうしたのだ?」と尋ねると「昨日の夜は家に帰ってこなかった。たぶんどこかで飲んだくれて酔い潰れているのだろう。」と言う。パスクワルでもそんなことがあるのかと思う。それも先住民だからだろうかとも思う。仕方がないのでパスクワル無しで昨日と同じゲレイロの山へ入る。
入植者の家
モリーナとのせめぎ合い
モリーナはしきりに仕事は「1時までにしよう。」と言う。しかし、我々は「少なくとも2時までは行う。」と言う。しかし、前日もそうだったが、この日も雨で危険であった。前日の雨は強弱強弱のリズムで降ってきて、全員ずぶ濡れであった。カッパを来ていても中から汗でびしょ濡れである。この日は、山へ入るなり、いきなり雨が降り出し、それほど強くはないが、一定の強さでずっと降っていて、やはりずぶ濡れであった。
2時まで仕事をして、山から出て、ゲレイロの家で昼飯を食べ、4時にMAGの事務所に戻った。モリーナは、「どうしてもラゴ・アグリオに行きたい。」と言う。
私は「だめだ。我々は仕事に来ているので、私的な行動は許されない。それにラゴ・アグリオまでは車で1時間半はかかる、往復すれば3時間もかかる。途中に渡し場もあるので何時間かかるかわからない。コカでの仕事が終わってから帰ることにする。ここで仕事の整理と休養をしてくれ。車での往復は疲れるだけだから。」と言って許可しなかった。
しかし、モリーナは、「大丈夫だ。増井。人生は仕事だけではないよ。我々はキトーに戻るのではなく、ちょっとその先のラゴ・アグリオまで行ってくるだけだ。心配しなさんな。月曜日の朝7時までには帰ってくるから。ウワハッハッ。」と言う。結局彼らを抑えきれず、「仕方がない。それでは月曜の朝7時までには必ず戻ってくるように。」と言ってしまい、彼らの言い分に負けた。モリーナもきちんと理由を説明してくれればよかったのだが、そうは言えなかったのだ。それはモリーナの二号さんとその子供がラゴ・アグリオに来ているからだった。
モリーナとルナとメディナのカウンターパート3人、作業員4人、運転手2名をラゴ・アグリオに帰した。車は我々が借りているトラック1台とMAG本部から提供されているランドクルーザー1台の計2台でラゴ・アグリオに帰った。MAGから借りているブロンコ(アメリカ製の車で6人~7人乗れる)は貸さなかった。
夕方になり、MAGにようやくパスクワルも顔を見せに来たが、やはり酔っぱらっていた。彼も途中までモリーナの車に乗せてもらい自分の家へ帰った。
カウンターパートの中では、アロンソがラゴ・アグリオに帰らずコカに残って、我々と一緒に行動すると言ったので安心した。一番若いアロンソの方が一番年上のモリーナよりもはるかに責任感があった。
1985年8月10日(土)
ナポ川の偵察
この日はアロンソとカスティジョ(コカのMAG職員であるが、給料が安いので我々は作業員として雇い日当を支払った。)と我々と計6人でナポ川をエンジン付きのボートを船頭付きで借り上げ、先に書いたようにプリマベーラまで往復した。
ナポ川を渡るハシケ
最高に楽しかった日
1985年8月11日(日)
楽しかった一日(日エ米仏文化交流)
この日は休みとした。コカのような辺鄙な場所にもアメリカ人の学生で医療関係のボランティアの学生が一人いた。それにフランス人の青年夫婦が探検に来ていて、同じホテルアウカに泊まっていた。午後からは彼らと一緒に日西英仏の4カ国語チャンポンで雑談をしたり、トランプ、特にポーカーなどをして楽しんだ。
我々の中ではY君が190cmほどと背が高く、彼らも背が高かったので背比べをしたが、Y君が一番高かった。
夜は、この汚い町にもディスコがあり、そこに踊りに行った。やはり南米人にはダンスがないと生きていけないのだ。夜になり暗い中で回転するミラーボールの光の中で、とてつもなく汚い場所だがその汚さは見えず、とても高級な場所にいるような錯覚を覚えた。皆で踊って、特にフランス人の若い奥さんは引っ張りだこであった。今回の調査の中では楽しい思い出であった。
事故の前触れ
1985年8月12日(月)
ラジオジャパンで日航機の墜落を聞く
この日はカウンターパートは朝9時までにラゴ・アグリオからコカへ帰ってくることになっていたが、我々はどうせ10時か11時までは帰ってこないだろうし、この日の仕事はハードにはできないだろうと思っていた。
この日はまったくついていなかった。朝6時に久しぶりに聞いたラジオジャパンで、500人以上乗った日航のジャンボ機が墜落したというニュースを流していた。日本では大変なことになっているのではないかと思った。何か不吉な予感が走った。
9時から11時半までMAGでモリーナ達を待つが帰ってこないので、この日から働くことになっているMAGのパトリシオ(職員だが作業員として雇う)のクニャード(義理の弟)の山へ行く。我々4人と残っていたアロンソと作業員3名と運転手とそれにクニャードの父親やそのとりまき計3人が付いてきて、胸高直径1m38cmのチョンチョ(ローカル名)を1本伐る。これくらいの大木を倒すのには2時間以上もかかる。そして測るのにもまた1時間以上かかり、この日はこれ1本しか測定できず、また水曜日か木曜日に来るから頼むと言ってMAGへ帰る。
アロンソが指を切る
帰る途中、ハシケの渡し船を渡ったところで、カウンターパートのアロンソが誰かがサトウキビをむいていたマチェーテ(ナタ)にぶつかって左手の人差し指をかなり深くきってしまった。白い肉が見えたと思ったら血が噴き出してきた。すぐに応急のバンドエイドを貼ってやる。
近くに最近できたばかりの病院があるので、すぐに行こうと言ったのだが、医者に行くのをすごくいやがる。無理に連れて行くとまだ若い医者は指をすぐに洗い、針で縫うと言う。麻酔もかけずにすぐに縫おうとする。たぶん麻酔も無いのであろう。するとアロンソは怖がって逃げてしまった。
捉まえると「あの医者は野蛮だ。麻酔もかけずに縫おうとした。」と言う。「たいしたことないんだから、痛いのを少し我慢すればいいんだよ。」と私が言うが、「あの医者は野蛮だ。」の一点ばりだ。応急の絆創膏をはがしたので、また血がどんどんと流れている。仕方がないので上腕をしばり、またガーゼを巻いて絆創膏で固定してやる。
交通事故とのうわさが流れて来る
さて、5時頃MAGへ帰るとMAGの車が事故を起こしたとのうわさなので、署長が見に行っているとのことだった。我々はモリーナ達カウンターパートは、まだ戻って来ていないと頭に来ていた。MAGの車と言っても沢山あるので、我々の仲間だとは思わなかったし、思いたくなかった。それにまだはっきりしていない。
それからホテルへ6時頃帰る。アロンソはその後ホテルの私の部屋に訪ねて来たので、飲み薬の抗生物質を3日分やり、ガーゼをはずし、クロマイをたっぷり塗りつけ包帯をしてやった。すると3日くらいで治ってしまった。あまり薬のお世話になったことがなかったのだろう。あまりに早く治ったので驚いた。
交通事故
カウンターパートの交通事故だった
夕食を近くの食堂で食べていると借上げ車の運転手が来て、事故は我々の仲間でかなりひどいと言う。午後7時頃で、既に暗かったが、すぐにMAGに行くと事故にあったのは我々がMAGから借りているランドクルーザーだった。署長が別の車でそのランドクルーザーを引っ張ってきて、かなりひどい状態である。フロントガラスは全てなく、横の三角窓も壊れている。車の天井は歪んでひし形になっている。バンバーは付いているが、ところどころへこんで歪んでいる。エンジン部のふたはしまらず、歪みが大きい。タイヤは、パンクはしていないが軸が曲がったのだろう少し傾いでいる。内部の運転席の横に血がついている。
交通事故を起こしたランドクルーザー
署長が行った時には車は道端に捨てられており、もう周りには人は誰もおらず、車だけ引っ張って帰って来たということだった。
口コミの話をまとめると乗っていたのは8人で3人は背骨をやれており、内2人が重体だとのこと。朝10時頃、コカから30kmくらい離れたラゴ・アグリオよりのサンチェスという場所で事故が起きたとのこと。
事故車の前部
事故車のフロントガラス
当時雨が降っており、かなりのスピードでカーブを曲がり切れず、石油のパイプラインにぶつかって一回転したとのことだった。しかし、正確なことはわからない。すぐに電話局へ行くがコカとラゴ・アグリオの間には電話はないという。また、また仕方がない。
署長は明朝キトーへ電話し情報を得るという。口コミでは、事故が起きた近くにテキサコの施設があり、そこに収容され、セスナでキトーに運ぼうとしたらしいが、雨が激しく、運べずにラゴ・アグリオに運んだらしいとのことだった。
明日朝6時にならないと渡し船が動かないので、6時にアロンソ、Y君、運転手の3人をラゴ・アグリオに行かせ情報を得ることにする。私を含めた日本人3人は、残って署長の情報を待つことにした。
中秋の名・
19日は、1年でも最も美しいといわれる「中秋の名月」でした。大きな丸い月が上ってきましたが、写真を撮るタイミングを逃し、9時頃撮った写真ですが、ただの丸い点にしか見えません・・・残念 by NK
【森林紀行No.1 13/18】「コカの町」
コカの町
コカの町の方がラゴ・アグリオよりも大分小さかった。道路はやはり未舗装であった。
ただ、ラゴ・アグリオの町よりは古い町なのだろう。少し落ち着いた雰囲気が漂っていた。しかし整うのは、まだまだ先の話しだろうと思われた。
毎朝早く起きて町の食堂に朝食を食べに行った。3軒くらい食堂があり、パンとコーヒーだったが助かった。ホテルにも食堂があったが、朝は始まるのが遅かったのだ。
コカの道路。左側の青い建物がホテルアウカ
ホテル・アウカ
受付にて
最初にホテル・アウカに着いたときに、受付の女性が我々に向かって「どこから来たの?」と聞いてきた。我々は「ハポン(日本)から来た。」と答えた。すると彼女は「ハポンから車でここまで来たのか?」とたずねて来た。最初私は何を聞かれているのか良く分からずキョトンとしていると、「ハポンとはどのあたりにある村か?きっと小さな村でしょう。」と言った。世界の地理がどのようなものか知らなかったのだろう。
私は「ハポンからキトー経由で、車で来たよ。ハポンは本当に小さな村だよ。」と答えた。
アウカの部屋
数が限られているので一人部屋が満杯であれば相部屋であった。2~4人くらいの相部屋の方が多少広くて居心地が良さそうだったが、壁はベニヤ板みたいなもので隣室との声は筒抜けであった。
一人部屋は多少しっかりしていたが、狭くて汚く居心地は非常に悪かった。特に裏の部屋はコンクリート製だったが、窓が小さくまるで監獄に入れられているようだった。
私は一人部屋にいたが、満杯の時は仕方なく裏の部屋に入ったが、多少でも居心地の良い一人部屋が空けばそちらに移った。
ホテル・アウカの部屋
ホテル・アウカにいた先住民
ある時、仕事から帰ってくると受付に入ろうとすると何か獰猛な動物がいるような殺気を感じ、中に入るのがためらわれた。中をそっと覗くと、これこそ正真正銘の原生のアウカ族ともいうべき先住民のインディオがいた。
やや小柄ながら筋肉質、猫背で耳に大きな穴を開け、木の枝を短く輪切りにしたものをさしている。その迫力には圧倒され、声をかけることもできなかった。冒険旅行に来たヨーロッパ人が道案内に雇っているとのことだった。
庭に飼っていたボア
ボアは大きくなれば5mにも達し、最初に我々が遭遇したものも4m程もあった。3m程のボアをホテルアウカの庭で放し飼いで飼っていた。木の枝2mくらいの高さのところにまとわりついてじっとしていた。昼間は動かないようだった。夜行性なのであろう。
その他飼っていた動物、鳥
ホテルアウカでは放し飼いのボア以外にオセロットやサル、トゥカン(オオハシ)やオウムを小屋に入れて飼っていた。トゥカンというのはくちばしが長く大きく、変わった鳥だ。キツツキ目オオハシ科に属する。キトーの土産物屋ではバルサ(比重が0.2程度の非常に軽い木)で作ったトゥカンを売っており、私もいくつかお土産に買った。
オセロット
サルと小鳥
小鳥
オウム
トゥカン(オオハシ)
コカの町の中にて
町で大きなネズミをみる
町の食堂ではときどきネズミの肉のステーキがあり、それも良くたべた。脂肪分が少なく、パサパサといった感じだったが、おいしかった。
それを犬のように首輪を付け散歩している人を町中ではときどき見かけた。小型犬くらいの大きさはあり、重さは6?7Kgはあるだろう。
モリーナ達
モリーナ達はラゴ・アグリオでもそうだったが、コカでもMAGの事務所の宿泊所に泊まった。そして夜は良く飲みに行った。彼らも泊まる場所は狭く、相部屋なので、事務所には泊まりに行くだけで、眠くなるまで外で時間をつぶしたかったのだ。そのため彼らと飲むときりがなかった。
飲み代といっても大したことはなかったが、最後は我々が持つようになるのだが、彼らは最初は、必ず「俺がおごる。」と言う。こちらも眠いので、「もうやめよう。」というと、モリーナは、「これが最後の一杯だ。」と言う。そしてそれが終わると「俺がおごるのはこれが最後だったが、今度はアロンソがおごる。」という。そしてアロンソが最後になると、「アロンソの最後のおごりは終わったが、今度はメディーナがおごる。」と言っていつまでたっても飲んでいて帰ろうとしないのだった。
コカの市場
コカの町に市場があり珍しいものが沢山あったので撮った写真が次のものである。その他、森や町で取った珍しい動植物も載せる。
マンダリン、チリモヤ(釈迦頭)、パッションフルーツ。
チリモヤは種の周りの果肉がクリームのようで甘く柔らかい。
種の大きさはカキの種くらい。パッッションフルーツは中に
つぶつぶの種があり、その周りの果肉と果汁が甘酸っぱい。
豆類(入れ物が珍しい)
果物を売る少年
野菜を売る少女
日本とは違った感じのニワトリ
コーヒーの殻を乾かしている
近くにいた水牛
林内周辺で取った動植物の写真
マーモセット?
同上
着生ラン
着生ラン
木の幹から直接花が咲く幹生花
菌類
サルノコシカケ
ノボタン科の低木(三主脈がはっきりわかる)
9月の駒ヶ岳
西駒んボッカに参加
9月15日(日)第1回中央アルプス西駒んボッカに参加しました。
伊那市鳩吹公園から中央アルプス将棊頭山の山小屋、西駒山荘までの標高差1750mのヒルクライムレースで、競争だけでなく、建替え工事予定である西駒山荘の建材(レンガ2.5キロ)を参加者全員で運び上げ、再建に携わることが大会の趣旨です。
小生3か月ぶりのレースで、練習もロクにせず、またしても過重肉体のままの参加となってしまったうえ、大会規定の携行品が、レンガのほかに地形図・レインウエア・食料・水1L以上・携帯電話・防寒着・熊鈴・健康保険証・ヘッドライト・携帯トイレ・手袋・ホイッスル(協賛)で、計約7キロを背負っての苦行であります。
台風18号上陸 前日であったため中止が心配されたレースは、AM6:30小雨で無事スタート。前半ロード区間と桂小場登山口から馬返しまでのトレイルはなんとか走りき り、馬返しから分水嶺はひたすら岩段を四つ足で登り続け、分水嶺から西駒山荘のトラバースでは大雨・暴風で震えながら、ゴール西駒山荘にてレンガを大会委員に手渡しての完走となりました。
想像以上にレンガが重く、登坂中は何度も捨てようかと思いました(おいおい?!)が、何とかゴールしてレンガを届けることができ、他のトレイルレースとは一味違う達成感。
ゴール後、稜線をトレランしようと計画していたため、しばらく天候の回復を待っていましたが、雨風は止まず、体が冷え込んできたので山景色を全く見ることもなく、早々にカッパを着込んでの下山となりました。


復路はレースでは無いため、他の参加者としゃべりながらのんびり走って、鳩吹公園着がAM11:30。山を見上げたら、なんと晴れあがっていました。
神様からの「来年も参加しなはれ」の声と解釈し、鬱憤は快晴となった午後に、駒ヶ根のテニスコートで晴らしました。
mokoji
駒ヶ根さんぽ
秋になってきましたね!
季節の変わり目に、近ごろみかけた植物を紹介します。
クサギ
山の中でよくみかける木です。
その名の通りとっても臭いので、うかつに触ると手ににおいがついて嫌われます。
たまたま花が咲いていたので撮りました、花はかわいいですね。
アカザ
ホウレンソウの仲間なので、心なしか似てますね。
食べれるそうですが、自分は食べたことはありません。やたらアクが強いという噂です。
ちなみにこの赤い色は実は表面に赤色の粉がついていて、触ると指につきます。
この粉の色が白いシロザという植物もあります!
ノビル
田んぼのあぜ道など、どこにでも生えています。
ニラの仲間で、根元の少しふくらんだ部分がとってもおいしいのです。味噌に合うと思います!
花はとってもきれいですね。今頃咲いているので、ぜひ探してみてください。
ニホンアマガエル
かわいい!
RS