橋の点検現場の紹介

ゼンシンの日々

今回は橋梁点検の現場の様子をご紹介します。

橋梁点検は段取りが命です。

点検作業に入る前の「安全管理」が第一の使命となります。

橋梁点検車を使用する場合は道路を規制します。

今回は片側交互通行による規制をかけました。

どうでしょうか?この整然と並ぶコーン、きれいですネ。

いい点検をするには、しっかりとした交通規制、安全管理が必要です。

交通規制看板も設置し、一般通行者への注意喚起を行います。

当たり前のことですが、このようにしっかりと安全管理に努めています。

こちらは橋脚の点検の様子です。

一眼レフカメラを用いて、橋脚を撮影しています。

撮影した高解像度の写真を用いて、AIによる画像解析を行い、ひびわれ等を自動検出します。

近年は、このような新技術を用いた点検を行い、作業の効率化、点検コストの縮減を図っています。

女性技術者も活躍中です。

1月の駒ケ岳

社窓
2023年1月の駒ケ岳

新年あけましておめでとうございます。
皆様にとって本年が佳き年となりますようお祈り申し上げます。
本年もよろしくお願いいたします。

本年の十二支は卯(兎)、 干支は「 癸卯 」 。

「卯」は、
門を無理に押し開けて中に入り込むさまを表した字などとも言われるそうです。
また、漢時代の歴史書においては、
「冒(おかす)」あるいは「茂(しげる)」の意味から、
「草木が地面を蔽うようになった状態」を意味しているとも言われているそうです。

さらに、「兎」は、
温厚な様子から「家内安全」、
たくさんの子を産むことから豊穣、子孫繁栄、
ぴょんぴょんと飛び跳ねる姿から「飛躍」「向上」などを象徴するものとして親しまれきました。

「癸」は、
雨や露、霧など、大地を潤す恵みの水を表すとともに、
十干の最後にあたり、
生命の終わりと次の新たな生命が成長し始めている状態を意味するともいわれているそうです。

こうした意味から、新しいことに挑戦するのに最適な年ではないでしょうか。

コロナ禍から徐々に抜け出してきた今年、
新たな飛躍の年となることを切に願うところです。

2023年1月の南アルプス

現地調査の楽しみ

ゼンシンの日々

先日、委託業務の現地調査に行ってきました。

冬季の現地調査はとにかく寒く、大変です。

しかし、ホッカイロの足下用やマグマ(高温のやつ)を準備しているので、寒さをしのげます。

そして、午前中の調査が終わり、昼食の時間になります。何か暖かい食事がいいなと思い。

この日は、富士見町の現場であったため、

駅にあるそば屋さんに行きました。

DSC_0533

山賊そばをいただきました。(寒さのあまり二口食べた後ですが・・・ご勘弁)

地元のものを食べるのが楽しい。しかも、美味しい。(海賊そばもありました、サメ肉だそうです)

また、別の日には目的地に向かうため、こんなところを通っていきました。

富士見パノラマリゾート!!(平日だけど結構混んでる)

仕事じゃなくプライベートで来たいなと思いつつ

スキーウェアでなく防寒着

ストックではなく赤白ポール

スキー板ではなく画板

スキーブーツではなく長靴

でも、意外と、

馴染んでるというか目立たない。

ブログの更新を思い出し、戻って写真を撮ったのは内緒。

帰り際には「私をスキーに連れてって」と思いながら・・・

さあ、次の現場行くよ!!って感じで楽しんでます。

普通の週末

ゼンシンの日々

夫も私も本が好きで、いつもネットで20~30冊くらいまとめ買いして、読み終えると古本屋さんへのコースなのですが、週末に読んだこの本は取っておこうかと・・・

冤罪がテーマで重くて泣けます。気になる方は読んでみてください。

クリスマスらしいことをしていなかったので、出掛けた帰りにショートケーキ買って帰りました。

何もネタが無かったけど、当番表を持ち越すのが嫌だったので、週末の過ごし方を記事にしてみました。

[増井 博明 森林紀行 番外編 地域探訪の小さな旅]No.4_赤ボッコ(山)

森林紀行

 2022年10月22日(土)に,ここから奥多摩の山が始まるという位置にある「赤ぼっこ」山に登った。青梅駅の次の宮ノ平駅から南側の山塊の尾根伝いを歩き青梅駅に降りた。赤ボッコとは赤土のことだそうで、1923年の関東大震災の際、赤ボッコ周辺の表層が崩れ落ち、赤土が現れたとのことだ。関東ローム層が現れたのだろう。

宮ノ平駅→和田橋→愛宕山分岐→天狗山分岐→赤ボッコ→馬引沢峠→旧二ツ塚峠→天祖神社→青梅駅と歩いた

【メンバー】
 この山行は、フランス人の神父さんが月例登山として行っているもので、この山行に参加したものである。神父さんと言っても一般人と同じ格好をしており、神父服をきたかしこまった方ではない。この神父さんと知り合ったのは12年前で、当時、私がブルキナファソの仕事をしていたので、フランス語を教わっていたからだ。その時以来のつきあいで、私もこの月例山行には相当数、参加している。他のメンバーは、2人のフランス人の方に1人のカメルーン人の方、それに私を含め日本人6名で合計10人だった。
 神父さんはローマ教皇から日本に派遣されているもので、もう何十年も日本に住んでおり、定年まで日本の企業に勤めていた。そして布教活動や住民擁護のボランティア活動などをしている。カメルーンの方は難民である。カメルーンはフランスとイギリスの植民地だった地域により二分されているとのことで、その影響で、地域の対立があるそうだ。それが原因で内戦にまでなったということである。この方の父さんは政治家で、父さんと兄さんは内戦で殺されたとのことである。母さんと弟ははモロッコに逃れたということである。この方は日本に逃れてきたが、牛久にある入国者収容所で2年も収容されたとのことである。その後、収容所から出たものの監視され自由に働くこともできないとのことである。私もこの収容所に神父さんと一緒に行き、収容者を励ましたことがある。神父さんは時々収容所に行き支援している。

【集合】
 8時50分に青梅線の宮ノ平駅に皆集まった。

宮ノ平駅
宮ノ平駅の奥多摩よりのトンネル
全員が集まるまで駅前で待つ

【宮ノ平駅から和田橋へ】
 宮ノ平駅から南西に向かって歩き始める。多摩川の上流に向かって歩く。駅から少し歩いたあたりから愛宕山付近の伐採地が見える。かなり大きい皆伐地だ。

愛宕山付近の皆伐地

 しばらく歩くと消防署があり、訓練中であったが、消防署員がとても丁寧に和田橋方面への入り口を教えてくれた。消防署のすぐ近くに多摩青梅七福神という旗を掲げた明白院があった。明白院から下り気味に歩いて左に入ると、まもなく多摩川にかかる和田橋だ。

明白院
明白院を下って行き左に入る

【和田橋】
 ここは、多摩川の上流域にあり、これから渡るのが和田橋である。多摩川は138㎞の長さがあるそうで、この上流には小河内ダムのある奥多摩湖があり、さらに東京都の最高峰の雲取山(2,017m)もある。さらに奥の山梨県の甲州市(旧塩山市)の笠取山(1,953m)が多摩川の源流とのことである。この和田橋から上流を見た景色が、とても美しい中秋の景色と感じた。

多摩川にかかる和田橋
和田橋から上流域を望む。このあたりがちょうど紅葉が始まった頃

【愛宕山分岐へ】
 和田橋からしばらく舗装道路を歩き、山道に入り愛宕山分岐を目指す。緩やかな登りで、歩きやすく、また薄曇りで暑くなくとても歩きやすかった。途中でモグラなども見つけた。

舗装道路から山道へ入って行く
途中、大きなスギの植林地も多い
愛宕山の分岐あたり

【天狗岩の分岐へ】
 愛宕山の分岐を過ぎて、天狗岩の分岐を目指す。天狗岩の分岐に着くと皆は、天狗岩には行かないで、赤ボッコの頂上を目指して歩いて行ってしまった。私と数人の仲間は天狗岩まで行こうとしばらく行ったが、下ってから登らなければならないので、時間がかかる。あまり遅くなると皆に迷惑をかけるので、少し下ったところで引き返し、赤ボッコの頂上に向かった。

天狗岩の分岐あたりから北側(宮ノ下駅方面)を望む

【赤ボッコの頂上】
 赤ボッコの頂上に着いたのは11時過ぎくらいだった。頂上の標高は409.5mで、ここにあった温度計を見ると気温は、約15度だった。ここで昼食を取りながら約1時間休憩した。皆それぞれお弁当を持ってきて、食べながらおしゃべりをして楽しい時間だ。いろいろなお菓子も持ってきて、皆で分け合って食べる。西に奥多摩の山の大岳山や川苔山が見える。北西には日光あたりの山までも見える。

赤ボッコの頂上(409.5m)
頂上からの景色 青梅方面を望む
日向和田から二俣尾方面を望む
中央よりやや左の一番高い山が大岳山(1,266m)、右の三角のとがった山が
奥の院(1,077m)
川苔山(1,363m)

【馬引沢峠を経て二ツ塚峠へ】
 赤ボッコから馬引沢峠を通り、二ツ塚峠に向かう。しばらくすると立派なフェンスで囲まれた土地がある。動物除けだとすると立派過ぎるので、何かと思っていると二ツ塚のゴミ処分場だとのことだ。東京の多摩地区の一般家庭ごみをここに搬入しているそうだ。一般家庭から排出されるごみ・資源物は、中間処理施設で焼却するものと資源化されるものに分別され、焼却灰は、この二ツ塚最終処分場に搬入し、エコセメント化してリサイクルされ、埋め立てはされていないということだ。しかし、この施設を作るときには住民反対運動もあり、大変だったようだ。

【多くの大木がある】
 この周辺は、コナラの大木が多かった。自然植生としては、ヤブツバキクラス域のクヌギーコナラ林で、一般的にはこの辺にあるクヌギ、コナラは二次林として成長したものである。おそらくこの周辺は低標高なので、昔は里山で薪炭林として利用されていたものが放置されたものと思われた。しかし、尾根上にはモミの大木もあることから、この尾根上ではコナラが天然林として成長したものと思われた。ヤマザクラの大木も多かった。

赤ボッコから馬引沢峠と二つ塚峠へ
右側が二ツ塚処分場
馬引沢峠 昔は馬を引いて登った急な峠だったのだろう
二ツ塚
二ツ塚の悲しい物語

【二ツ塚から天祖神社へ】
 二ツ塚から約1時間ほど下り、天祖神社へ至る。もう青梅駅は近いだろうと思っていたので、この行程は、かなりあったように感じた。
 天祖とは大辞泉によれば、「天皇の祖先。皇祖。一般には天照大神(あまてらすおおみかみ)をさすが、古くは瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をさしたこともある。その他天照大神から(うがやふきあえずのみこと)までをいうこともある。」とのことである。この神社は何百段の階段もあるし、相当に大きいし古いと思われた。

天祖神社への下り
周辺にはスギの人工林
天祖神社
青梅駅に近い調布橋
調布橋からの景色

【天祖神社から青梅駅へ】
 天祖神社へお参りし、青梅駅まで歩き、そこで解散する。解散してから温泉に向かう者達もいたが、私は少しくたびれており、温泉に入ると飲みたくもなり帰るが大変になるので、家に帰ることとした。とても楽しい秋の山行だった。



つづく

クリスマスが今年もやってくる

ゼンシンの日々

例年、1週間程しか飾らない我が家のクリスマスツリーですが、クリスマスを理解してきた三男坊にお願いされ週末一緒に飾り付けをしました。

保育園で作成した作品や、アイロンビーズで作ったものなど何でもありの我が家らしいクリスマスツリーのできあがりです。

サンタさんへのお願い事は、メッセージカードへ書いてクリスマスツリーへ飾りつけます。

毎年、書いては消しての繰り返しでぐちゃぐちゃになりますが…。

今年は私も書こうかな~😀

12月の駒ケ岳

社窓
2022年12月の駒ケ岳

いよいよ師走。
今年は、寒さの到来がややゆっくりのようです。
駒ケ岳の様子も昨年と比べると積雪がまだまだ少ないようです。

今年は、コロナ禍による行動制限も徐々に緩和されてきて、
外出が増えたり、多くのイベントや行事が3年ぶりに行われたり、
明るい兆しが見えた年となりました。
とはいえ、今は、新型コロナ第8波の真っ只中。
楽しい年末年始を過ごすためにも注意が必要です。

明るい兆しの一方で、
2月にはウクライナでロシアとの戦争がはじまり、
円安の進行により物価の上昇が急速に進むこととなり、
生活に大きな影響を及ぼすこととなっています。

ということで、昨年に引き続き「今年の漢字」の予想は、

  出:外出が増えたこと。物価上場による出費の増加。
  上:気分の上昇。物価の上昇。
  戦:ウクライナでの戦争。サッカーワールドカップの戦い。

みなさんは、いかがでしょう?

2022年12月の南アルプス

36!!!

ゼンシンの日々

上の数字、、2022年の残り日数…..
気づけばもうすぐ傍まで「来年」がさし迫ってきてしまっている・・・!!
と、毎年同じ思いを繰り返しているわけですが、年末の準備は進んでいるでしょうか。

最近私はゴミ捨てにはまり中、いわゆる断捨離というヤツです。
身の回りに増えすぎたモノの整理を始めると、今まで散々腰が重く、やる気が出なかったのが不思議なくらい、目につくものを端から捨てようとする衝動が生まれてきます。面白いです。
ひとまず、年末大掃除には取り掛かれているようなつもりでいます。


もうひとつ、年末といえば年賀状の準備があるのではないでしょうか。

今日からちょうど1か月後、12/25の最終集荷までが元日に届けられる期限になっているはずです。
___と言いつつ、私は毎年大晦日・元日になってから、遠方の友人に送るのみの数枚の年賀状制作に入ります。「作った」という実感を得るためだけの、完全に自己満足のためにゴム版画を作成します。そして、お正月の時だけの特別な切手を貼ります。
それがこちら。

お年玉付き年賀切手!!(毎年の残りを探したけれど牛🐮さんが見つからない…)
(右側写真はお年玉の付かない年賀切手。63円のものは昨年からシール仕様になりました。便利。)
貰ってうれしい、貼って楽しい!どんな郵便物も年賀仕様になる優れものです。
毎年の発売を楽しみにしています。
ただ、通常の年賀はがきでも言えることですが、年々発行部数が減少してきているとのことで、あまりモタモタしていると売り切れてしまうため注意が必要です。
今年は焦らないよう、発売日(11/1)にしっかり入手しました。🤓

お年玉くじ番号付きのハガキは戦後まもなくから、切手バージョンは平成元年から発行されているそうです。
結構歴史の長い文化ですが、メールやSNSにより紙のお便り文化は弱まりつつあります。
年賀状もいつかはなくなってしまうかも・・・🤔
寂しさを感じつつ、今年はどんな絵柄にしようか、考えている間に年末になってしまって今年もバタバタ、、、 そんな気がします。

11月の駒ケ岳

社窓
2022年11月の駒ケ岳

山々の紅葉が進むとともに、いよいよ頂が白くなりました。
先月25日のにも全国的に寒波による寒い一日となり、
麓からもうっすらと雪化粧したアルプスを望むことができました。

さて、出足の遅かった茸も、徐々に採れ出した様子。

これだけあると、一見シイタケみたいですが全部松茸です。

今年も、松茸御飯とすき焼きを作って、社員一同美味しくいただきました。
秋の味覚を満喫できました。

2022年11月の南アルプス

[増井 博明 森林紀行 番外編 地域探訪の小さな旅]No.3_京浜工業地帯-鶴見線沿線

森林紀行

 今回の小さな旅は,京浜工業地帯の中心を走る鶴見線を乗ったり、沿線を散歩した記録である。これは、まだコロナウィルスが、知られておらず、感染が始まる前の2019年11月1日(金)に行ったものである。鶴見線と言えば、京浜工業地帯のど真ん中を走るJR線で、都会にある鉄道ではあるが、多くの人は乗る機会がない路線だと思う。半世紀前のこの周辺はまさに、公害の中心地であったが、今は大気と海に関わる環境は改善され、昔の面影はない。現在は、2022年10月であり、この時歩いてから既に3年近く経つので、もう一度歩いてみたいと思っているが、コロナで自粛期間も長かったこともあり、まだ実現していない。

鶴見駅→海芝浦→浅野→安善→武蔵白石→大川→武蔵白石→浜川崎→昭和→扇町→昭和→浜川崎
海芝浦から浜川崎の間を歩く。
周辺の全体地図

鶴見駅から海芝駅へ
 鶴見駅発9時30分発の海芝浦駅行きに乗った。海芝浦駅は新芝浦駅の次。この辺は全て埋立地であるが、新芝浦駅から海沿いに真っすぐ進んで、進行方向に向かって右にカーブし、長方形に近いもう一方の辺の先端に海芝浦駅がある。海芝浦駅は広い田辺運河に面しているので、景色は新芝浦より広く見渡せずっと良い。
 海芝浦駅には9時45分に到着。一般人は、この駅の改札から外には出られない。東芝に勤めている人のみか改札からでることができる不思議な駅である。

海芝浦駅にて
遠景は鶴見つばさ橋

海の状況
 海芝浦駅にて着いた電車が鶴見駅まで戻る間、約20分間駅のプラットホームで東京湾を観察する。私は東京湾が見たくて、先月もこの駅に来て、海を見ていた。それで、この周辺の東京湾がとてもきれいになったことは知っていた。50年以上前の昔の東京湾の記憶からすると、この辺りは油がねっとりと浮いて、不気味な色をした海のはずだったが、澄んで魚も見え、全くきれいになったものだと感慨深かった。大気や水に関する環境問題は、やればできる、規制を皆が守ればできるのだと改めて思ったものである。

鶴見つばさ橋、ベイブリッジ
 近くに鶴見つばさ橋、遠くにベイブリッジが見える。これらの橋は、首都高速湾岸線上にあり、横浜から羽田空港を結び、この間はとても近くなった。

鶴見つばさ橋
横浜ベイブリッジ

海芝公園
 駅に隣接して海芝公園があるが、この日は数週間前の2019年10月に立て続けてきた台風15号と台風19号に、公園の木々は襲われ、だいぶ倒れたようで、この日は、閉鎖されていた。見た感じ、倒木を避ければ、中を歩いてもどうという感じはなさそうであったが、閉鎖され、中に入れず、残念だった。

浅野駅へ
 海芝公園を見た後、同じ電車で浅野駅まで戻る。新芝浦駅の次で2駅目で、5分ほどだ。

浅野駅から安善駅へ
 浅野駅で降り、ここから歩き始め、安善駅に向かう。道路は、いきなりトラックが多く、人が歩くには向いていない。舗装道路を縦にコの字型に歩いた。つまり、浅野駅から最初北に向かい、途中で右に曲がり、それから東に真っすぐ歩き、また、右に曲がり南へ向かったのだ。
 最初の安善駅から北に向かい東に曲がると道路の左側に寛政中学があった。半世紀以上も前のことだが、私が通っていた高校には、この寛政中学出身の者もかなりいた。この辺りは、昭和40年代は環境汚染地区の代表的地域だった。そのため、この辺りから通っていた者は公害で大変だったと言っていた。洗濯物を外に干すとススで真っ黒になるので外に干せないと言っていたのを思い出す。それにしても今はどちらかというと閑静な住宅街という感じで、本当に環境改善は可能で、公害という歴史を通らなければ、それができなかったことが不幸であったと思う。
 それから「驚きの出会い」の一つにこの寛政中学出身の高校の同期生がいる。2018年にスペイン・ポルトガル音楽(ギター)の旅に参加した時、お互いに知らなかったがその彼も参加していたのだ。彼は旅の途中で体調を崩し入院してしまい、私が言葉が分かるので世話を焼いてやったのだが、帰国後話していて同期生とわかりびっくりした。同じクラスでなかったのでわからなかったが、その後ギターを通じて友人となっている。

安善駅から武蔵白石駅へ
 続けて、安善駅から武蔵白石駅まで歩くが、武蔵白石駅の手前に寛政公園があり、10時半くらいにここで少し休み水分補給をした。

武蔵白石駅から大川駅へ
 武蔵白石駅から大川駅までは真っすぐの道だ。一段とトラックが増えたように感じた。歩き始めて1時間近くすると、当時私は不調だった時期から体調は上向きかげんになり始めた時で、まだ完全に調子が良いわけではなかったので、だんだんと頭が痛くなってきた。それでも頭痛薬に頼らずに、歩くことができるようになっていた。

武蔵白石駅から右折し大川駅までは真っすぐ

大川駅を通過し先端へ
 大川駅は11時10分に通過し、歩いて行ける先端まで行ってみようと行ってみる。大川駅の手前では、幅は狭いが、緑の回廊のような緑地帯があり、その中を散歩する。多少は車から離れているので散歩の雰囲気が出る。道路際を歩くより、こちらを歩いたほうがよほど気持ちが良い。
 するとどこかの工場の入り口に行き着いた。そこから海が見えるか覗いてみるが見えない。入口に監視員はいないようだったが、中に入ればきっと何らかのトラブルになるだろうと中に入るのは遠慮し、そこでユーターンしてここまで来た道を戻り、武蔵白石駅に向かう。

大川駅

 大川駅のこの周辺は広大な敷地を持つ工場で占められている。遠くに煙突から白い煙を出しているのが見える。おそらく水蒸気だろう。昔に比べれば大気もきれいになったもので、ほとんど匂いも感じない。昔を知っている私としては、あまりに大気がきれいになり不思議な感じがした。

武蔵白石駅から浜川崎駅へ
 大川の先の道路の先端から引き返し、武蔵白石駅まで戻る。それから浜川崎駅へ行く。ここは鶴見線に沿った道路で緩やかにS字カーブを描いていく。また一段とトラックが多くなった。狭い道なので大型トラックが通る時は怖い。

浜川崎駅から昭和駅へ
 浜川崎駅を12時20分ごろ通過する。浜川崎駅からは、角が丸くなった四角形の上のほうを行くような感じで歩くと昭和駅である。

浜川崎駅

昭和駅から扇町駅
 昭和駅から扇町駅までは真っすぐな道で歩道もしっかりしているが、やはり大型トラックが多く、騒音もひどく落ち着いて歩ける道ではない。扇町駅は広い道路からやや狭い道を右側に入ったところにある。

扇町へ向かう鶴見線

扇町駅
 扇町駅に13時過ぎに着く。ホームに上がりそこのベンチに座り、持ってきたアンパンとチョコレートのクロワッサンを食べた。時間を見ると電車の時間までにはまだだいぶあるので、浜川崎駅までとりあえず歩くこととする。

扇町の改札口。鶴見線はどの駅も無人駅だ
扇町のホームのベンチ。パンを食べる

再び浜川崎駅へ
 浜川崎駅に14時に着く。だいぶ歩き私の万歩計で2万歩以上に行っている。私は疲れてきたので、今日はここで歩くのを止め、電車に乗ることとする。ちょうど14時4分発の鶴見駅行が来た。これに乗る。

国道駅へ
 途中鶴見駅の手前の国道駅に降りる。14時20分だ。ここはレトロの感じの店が残っているとのことで降りたが、実際残っているが昼間で閉まっていた。開いていても、ガード下で暗い、臭い、汚いでとても入る気がしない数件の店ばかりだった。

鶴見駅へ
 国道から歩いて鶴見駅へ。14時40分に着く。駅の近くに、シークレイン美容室なるものがあった。シーは見る、クレインは鶴なので、鶴見を英語で言えばシークレインかクレインシーである。私も使っていた言い方で、秘密を公にされた感じだ。鶴見駅に着き、体調が万全でなかった私は、かなりの疲れを感じていた。

感想
 ここは、まさに京浜工業地帯のど真ん中。半世紀前は公害の代表的地域であった。ここを歩いてみて環境が改善されたことを深くしっかりと感じた。昔と比べてあまりにきれいになったので、本当に工業地帯なのか、不思議に感じたが、広大な敷地をもつ工場が多く、まさに工業地帯である。そんな中で規制がかかり、それを守れば環境を改善できるということを実証した地域でもある。これは自治体が規制をかけ企業が努力してきたおかげともいえる。当時は規制をかけなければ企業は努力はしなかったのである。しかし、今やSDGsがもたらす「企業の社会的責任」なども進み、企業みずから環境改善をしていかなければ生き残れない時代ともなった。これはとても良いことである。
 今後は、地球温暖化防止に向けての脱炭素に対しての対策が重要だが、これはやはり各国の努力が必要である。京都議定書(1997)が採択されて、25年。四半世紀を過ぎたのに、気候変動問題では当時より後退しているのではないかと思わされるほどである。一層の努力が必要である。また、個人、各人が努力して環境改善をできることも沢山あるだろうと、鶴見線沿線を歩いて思ったことである。


つづく

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